2011年8・9月 第2回 さえずりさえずる揺れる大地に樹は根ざし  福田若之(鴇田智哉推薦)

2011年8・9月 SST×スピカ (榮猿丸×関悦史×鴇田智哉×神野紗希×江渡華子×野口る理

 

 

さえずりさえずる揺れる大地に樹は根ざし   福田若之

(「週刊俳句 208号」2011.4.17)

 

神野   「週刊俳句」208号(2011年4月17日)に発表された10句作品、「はるのあおぞら」のうちの一句ですね。

鴇田   言葉のリズムの揺れ動き感と、そこから醸し出される感慨の揺れ動き感が連動してくるところが面白いと思いました。空間のとらえ方がいい。風景がいきいきと揺れ動いている。すぐに頭に浮かんでくるのは、とても大きな樹木と、それを含んでひろがる、大きくておおらかな森だなあ。風や光が分かる。囀りというものを、樹とともに詠んで。光の中で揺れている感じというのが、すごくよく出ているなと。

野口   なるほど。

鴇田   で、ここからは蛇足ですが、ここで、「揺れる」という言葉が出てきた背景には、三月の地震が心のどこかで影響しているだろう。そこが読者として微妙に感じられる。人間は日々何かに影響されながら生きているわけで、変わり続けているわけです。俳句の作者もそうで、ふっと浮かんできた言葉が、何かしらそういった周囲の影響を受けたものであることは当然のこと。この句は地震そのものを詠んだ句ではない、けど、そうした微妙な心理的要素をはらんでいる句だとも思う。

 関   自然に対する、信頼と肯定がある。あと、「さえずりや」ではなくて「さえずりさえずる」と…

鴇田   そう、「さえずりさえずる」はちょっとレトリックかもしれないけど、いやな感じはしなかった。うまく働いている。

 関   揺れ動いている生気は出ますね。私は、最近、揺れる大地で百句ほど作ったので、もう嫌になっちゃって…。

鴇田   「揺れる大地」に変な意味を、つまり「地震」だという意味を見出さないほうがいいと思うけど。この句は純粋な目で見れば、地震じゃなく読むほうが当然じゃないかなあ。

野口   地震のことだとすると、ちょっと、理がついちゃうかな。「揺れる大地に樹は根ざし」のところ。

 関   「揺れる大地」だと、今回の震災のことかどうかは特定できなくても、地震のことを言ってるというふうにしか読めないから。

野口   そうですね。「日本はよく揺れる」的な、地震全般を指すことではあったとしても。でも「さえずりさえずる」の音の感じは好きですね。

 

 

神野   「揺れる大地」っていうと、地震のことだろうな、とは思います。今回の震災かどうかは分からないですけど。

鴇田   え! そうは思わないけど。

野口   地震じゃないとしたら、国難的なことですか?「揺れる情勢」的な?

鴇田   いや、イメージ的なことだと思った、僕は。

江渡   大地っていうのは、揺れてるものだっていう。

鴇田   そう。大地とか樹木って、もともと揺れ動いてるでしょう。

神野   福田くんの同時発表作で、「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」という句があって、この句においては、震災の背景は句の外側にあると思うんですけど、鴇田さんの挙げた句においては、一応「揺れる大地」っていう言葉があることで、地震だってことが、句の17文字の情報から読みとれるかなと思いました。

 榮   「樹は根ざし」ってまとめ方が、地震を思わせるってところもあるよね。「揺れる大地」はいいんですけど、それに「樹は根ざし」ってついちゃうと…。

野口   頑張ろう感が出ちゃうっていうか。

鴇田   いや、地震後に「根ざした」とかそういうことじゃないでしょう、これは。大地とか自然はもともと揺れ動いているものでしょ。そこに木が太く根を張って生えているというのが、この「根ざし」じゃないのかなあ。みんなが地震の句だと読んでしまうのは、今回地震があったからでしょ。地震がなかったときにこの句を見て、そうは思わないでしょう。まあいいけど。でも、こんなにみんながみんな、この句を地震の句だと言うとは思わなかった。そういう意味でも、この句挙げてよかったかも。僕はこの句は、地震の句だとしては読まない。今でも全然それを感じていない。

 榮   揺れてる大地に、「でも」樹は根ざしてるっていう、その「でも」っていう感じがね。

 

 

神野   「さえずりさえずる」がいいですよね。樹が大地に根ざすっていうイメージ自体も、いいと思います。ぐっとくる。ただ、まだ「揺れる大地に樹は根ざし」だと、ちょっと雑なかんじが…まだねばっこく丁寧に詠めるかな、と思います。

 関   この句は、語彙同士が緊密で、その緊密さが玉にきずって感じなのか。

 榮   「さえずりさえずる」がね。

神野   明るさってことですか。

 榮   「頑張れ」的なね。後半のフレーズ「樹は根ざし」まで読んで、もう一回最初に帰ると、そういう感じに取れますね。それが悪いってことではなくて。

 関   上五の「さえずりさえずる」は、そこらへんに飛んで浮かんでる鳥であって、これは揺動性、動きそのものであって、中七に「揺れる大地」っていう、固定性はあるけど潜在的に揺れる可能性のあるものがあって、下五に「樹は根ざし」というので、最後はどっしりここに根を下ろすぞっていうのが出るっていう。下五から上五にかけて、だんだん、固定性から揺動性へと浮遊感が増していきますね。組織の仕方としては、非常によく出来ている。

鴇田   読者がみんな「地震」にとらわれ過ぎてるんじゃないの。地震がなかったとして、この句はとれないの? 僕はとれるよ。「頑張れ」の句だなんていったら、この句がかわいそうだ。

野口   やっぱり、でも、この句は地震のことと思っちゃうなぁ。発表のタイミングとしても。

 榮   地震でないとしても「樹は根ざし」が…

野口   予定調和?

 

 

鴇田   「根ざし」がそうなのか。いや、やはり、そうは思えない。

 榮   「根ざし」だよ。地震抜きにしても。

鴇田   いや、これは、ひと晩考えないと、わかんない!

一同   (笑)

鴇田   「根ざし」だから「地震」だ、てのは強引でしょう。だって、木はもともと根ざすものだよ。大地がもともと揺れ動くように。それらは、地震という意味ではなくて揺れ動いている。

 関   「揺れる」が忌まわしいことだと思うと、「樹は根ざし」が答えとして予定調和になっちゃうんだけど、「さえずりさえずる」っていう大量のさえずりを浴びて、余波として揺れているように感じる明るい世界だという風にもとれるわけで。

一同   ほほう、なるほど。

鴇田   いや、でも挙げてよかった。この句。

 

 

(次週は、野口る理の推薦句をよみあいます)