2011年11月 第2回 てきたうに光をあつめたら水母  西原天気(野口る理推薦)

佐藤文香×神野紗希×野口る理

てきたうに光をあつめたら水母     西原天気
(『けむり』西田書店 2011年10月)

野口  西原天気さんの『けむり』という句集から持ってきました。この句、実感がないのにある、っていう。本当に、適当に光を集めたらクラゲになるわけじゃないんですけど、ちょっとやってみたくなる(笑)。言葉にも無理がないし、「てきたう」「あつめる」を平仮名にひらいたところも、明るい感じになるなって。

神野  光と水母しかなくなるもんね、漢字の、意味のあるものが。

野口  そう。水母って、「海月」とも書くじゃないですか。でも、この「水母」のほうを使うことによって、「母」だからかな、子宮感?なんとなく、海へ還ってゆく感じもあって、面白いなと思いました。

神野  くらげって、「水母」って書くより、「海月」って書いたほうが、鋭い感じになるよね。なんでだろ、月光が鋭いからかなあ。

佐藤  「海」って字、ちょい画数多いしね。「海」の中に、そもそも「母」が入ってる。

野口  たしかに(笑)

佐藤  「海月」より「水母」のほうが、文字の抱く白の割合が大きい。

神野  「水母」って書くほうが、鋭さがなくなって、ぼわぼわぼやぼやしてる感じがするな。

佐藤  水をからだに保ってる感じだよね。

神野  リアルなくらげが、どっちの表記に似てるかっていったら、「水母」のほうだよね。「海月」のほうは、意味であてた漢字だよね、比喩的に。海面に浮かんでいるくらげを、「海の月みたいだなあ…」ってことで。

佐藤  この句、「光」が出てくるから、「海月」だとしたら、つきすぎになるかも。

野口  月も光だもんね。この句、「てきたう」だからかな、まじめにせっせと集めてるんじゃなくて、手の届く感じの光だってところがいいですね。

佐藤  くらげの収縮。ふあー、ふわー、みたいな(ジェスチャー交えて説明)。これ、文字起こすとき、大変だよね。

神野  あ、じゃあ、そのジェスチャー、写真に撮らせて。

(↑ふあー)

(↑ふわー)

神野  水母のからだって、簡単だよね。簡略。そんなに複雑なつくりじゃない。水母は、身体のほとんどが水だって言われているけど、そこを「水」から「光」に転化したところが面白いな。水母は、水じゃなくて、光で構成されてるっていうふうに。

佐藤  水を集めて水母って句だったら、どうしようもないな(笑)

神野  ほんとに(笑)どうでした?『けむり』を読んでみて。

佐藤  大変、巧みな、周到な一冊だと思います。初心者の人に、まず何読むかって薦めるなら、これを薦めたいかな。装丁がかわいいの込みで。

神野  うん、装丁かわいい。

佐藤  ぱかっと開くのもいいし、装丁で読みたくなる。そして、一句の平仮名と漢字の配分がちょうどいい。見開きの画面を見ていてきれい。

神野  収録された俳句はどうですか。私は、この水母の句とか、「風鈴を指に吊るして次の間へ」、「体内はまつくら茸山に雨」、「かつかつと水飲む鸚哥冬の雲」…このあたり、とても好き。ひたひたとした感情があるよね。名前がつく前の感情。でも中には、まだ完成途中っぽい句…雑にみえちゃう句があるなあ、って感じもした。「匙こつと底に届きてかき氷」、「届きて」だと「こつ」って感じじゃない。「ほどけゆく手紙の中の焚火かな」、これ、焚火で手紙を燃してるのかな、「焚火の中の手紙」をひっくり返した面白さなんだと思うけど、手紙の中の火のことを焚き火とは言えないんじゃないかな。このへんも、書かれてる景色は好きなんですけど、ちょっとピンぼけした写真のような感じが、私は気になった。でも、その途中感、ピンボケ感に魅力があるってことなのかな。

佐藤  題詠の句会でうまく作った句が、結構入ってるんじゃないかなと思いました。その題を与えられた瞬間の新鮮さを生かしたまま料理した一句、っていうのが、この人の肝なのかもしれない。

野口  私は前半が特に好きでしたね。以前、一句鑑賞の「よむ」のページでも書いた「世界ぢゆう雨降りしきる苔の恋」とか。これはかなりキュートです。

神野  かわいいよね(笑)嬉しい雨だよね、苔にとって。

佐藤  わりと、風通しのよい余裕のある句が多いからか、その中にある、切実な俳句のほうに、ぐっときました。「死がふたりを分かつまで剥くレタスかな」、ここでガチッと決めてきたか、と。

神野  「レタス」の明るさが、絶妙にフィットしてるよね。「死がふたりを分かつまで」っていう、美しく聖なる定型句を、ひっくり返してる、日常の次元に移植してるんだけど、そのことで、日常の、レタス剥くこととかが、逆に聖なることになってるって感じもする。「をかし」って感じがですぎても、まじめすぎても、ダメ。「レタス」には、どや感があまりなくて、そこがよかったのかも。天気さん、意外と本気で言ってそうだよね(笑)

佐藤  天気さん、奥さん大好きじゃん(笑) あっいけねぇ、作者と作中主体との混同だ。

野口  あと、音で引っ張っていくタイプだと思います。帯文の八田木枯さんも「あなたの句は、とかくひびきがいいので、私は惹かれるのです」って書いてあるように、韻律の力を感じます。「アンメルツヨコヨコ銀河から微風」。

神野  それも良かった。塗ってスースーする感じが、銀河っぽい。窓から銀河が見えてる感じも、ちいさな窓が見えてきて、さみしい。

佐藤  それから「少し死ぬプールの縁に肘をのせ」。「少し死ぬ」ってさ、魂ぬけてる感じで、わかるんだけどなかなか言えない。後ろのほうで惹かれたのは、特にこの2句。

神野  水母の句に戻ると、これ、私好きでしたね。一番といってもいいな。よくよく考えれば、句のすみずみまで、作者の神経が行きとどいてる感じがするな。内容とはうらはらに。「てきたうに」と言いつつ、句のつくりは「てきたう」じゃない(笑)

野口  あとは、句集全体でいうと、何かを踏まえてるんじゃないかな…先行句があるのかなと思いながら読む、勉強中かつ勉強不足な私にとってはどきどきする感じがありました。(笑)パロディというか…

佐藤  P108にある「自転車を降りたら地べた祭笛」。三橋敏雄の「石段のはじめは地べた秋祭」を思い出しました。同じく白の右ページ内側の「石段を降りてみづうみ小暑なる」が重なって見えたり(P146)。

神野  でも、パロディとまでは言えないよね。

佐藤  香りをさせてる。

野口  予兆のする感じ。「にはとりのかたちに春の日のひかり」。芝不器男っぽい。

神野  「永き日のにはとり柵を越えにけり」(芝不器男)ってこと?私は、鴇田智哉さんの「ひなたなら鹿のかたちがあてはまる」を思ったなあ。

野口  「糸屑をつけて昼寝を戻り来し」も…

神野  その句は、昼寝の本意を踏まえて詠んだ、ってことかな。「遠くより戻り来しごと昼寝覚」(野見山朱鳥)や「はるかまで旅してゐたり昼寝覚」(森澄雄)。どこか遠くに旅してきた感じっていうのを、糸屑にずらした。のであれば、スタンダードな俳句の作り方、っていうことでしょうか。

野口  それを探す楽しみ、がある。

佐藤  「カステラにまづは四月の木の匂ひ」とか、「四」がカステラの四角の断面に見えて好きだったな。「流れ星まぶたを閉ぢて歯を磨く」も。

神野  いいね。穂村弘さんの「歯を磨きながら死にたい 真冬ガソリンスタンドの床に降る星」、思い出した。歯磨きの爽快感とか、「アンメルツヨコヨコ銀河から微風」のアンメルツの爽快感もそうだけど、メンソールのすっとする感じって、宇宙とアクセスするのかな。

(次は、神野紗希の推薦句をよみあいます)