2012年1・2・3月 第二回  皿皿皿皿皿血皿皿皿皿  関悦史(野口る理推薦)

上田信治×西原天気×江渡華子×神野紗希×野口る理

皿皿皿皿皿血皿皿皿皿     関悦史
(句集『六十億本の回転する曲がった棒』邑書林/2011年12月)

野口  そもそも、この句集、みなさん、なんと略しますか。タイトル長いですよね(笑)。

神野  twitter上で、どう略すか、話題になってたよね。

西原  僕は「60棒」。でも、る理さんの略し方がいいんじゃないの。

野口  「~~~~~~棒」(笑)。これ、「~」ひとつを「十億本の回転する曲がったもの」と見立てて、×6、という。

江渡  そういうこと(笑)。

野口  この句集は、ふつうの句集よりも収録句の数が多くて、七九六句。一句だけ選ぶのはとても大変で。読めば読むほど、選べなくなってくる性格の本だと思います。今日は「マグデブルグの館」という章から、この句を挙げました。

神野  「マグデブルグの館」は、第一回の芝不器男賞の城戸朱理奨励賞とったときの百句だよね。

江渡  『新撰21』にも入ってたよね。

野口  そう。だから、もはや有名な句だと思うんですけど、関さんの句集の場合、わたしが見つけ出した句を挙げるより、残る句を挙げようかなと。関さんらしい句といえばこれかな。こういう句は作った人勝ちだな、という感じがします。完全に視覚的な句。実際、絵として考えると、お皿が九枚並んでて、そのあいだに血がある。

江渡  ここから実景を見出す?

神野  漢字って、象形文字だってところですかね。この句、もともとは、ダダイズムの詩で…

西原  高橋新吉のパロディだよね。

野口  そう、パロディなんですけど…

神野  俳句が一行で書かれる性質のものであることや、そもそも短いってことが、この句の場合、プラスにはたらいている気がしますね。制限された一行の枠の中に書くことで、より完成形に近づく。

野口  ダダイズムの詩よりも、関さんの句のほうがいいんじゃないかと思うんですよ(笑)。

西原  いや、それはね(笑)、パロディされたほうと、パロディ作品とを、そういうふうに比べるのはね…(笑)。

野口  芝不器男賞の選考会でも、話題にあがったんですか。

神野  話題になってたよ。関さんの作品は、俳句では目新しく見えるけど、ほかの文学ジャンルに目を向ければ、すでにある世界だっていう批判もあったと思ったよ。

西原  ぼくは百%、この句を支持するほうですね。ほかの文学ジャンルで書きつくされてるってことが、逆に、この句の意義になってると思いますよ。

野口  なるほど。

西原  俳句のパターンの開拓って、もう終わってるってところから出発してる若い子って、いっぱいいますよね。この句を見て思うのはね、俳句だけじゃなく文学がすでにもう終わってて、今なにかできることがあるとすれば、これまで書かれたものに、チョンって、点をつけるだけなんだという、ある種、吹っ切れたところからの出発。この句は、その、ものすごくいい成功例。現代詩って、ある部分ではコンクリートポエトリーのところまでいっちゃったわけだよね。でも、チョンって一点つけるだけで、まだ、俳句になる可能性がある。そのアイディア…視点が、批評性こみで面白いと思った。“チョン”ひとつが俳諧なわけじゃないですか。なければ詩。この“チョン”が俳句なのだ、って言ってもいいくらいだと思う、現代詩や他の文芸に向かって。

野口  関さんの句集全体にも、そういうところがありますね。

上田  引用とか。

神野  「カフカかの虫の遊びをせむといふ」。これは、フランツ・カフカのグレゴール・ザムザと、中村苑子の「翁かの桃の遊びをせむといふ」を踏まえてる。ダブルで。

上田  皿の句、わざわざ五七五にしてる面白さもあるよね。リズムを考えると「血」の位置は、たぶん真ん中の二文字のどちらかしかない。「皿皿皿皿血皿皿皿皿皿」(さらさらさら/さらちさらさら/さらさらさら)か、「皿皿皿皿皿血皿皿皿皿(さらさらさら/さらさらちさら/さらさらさら)」の二通りから、あとのほうが選ばれた。

西原  もとの、詩のほうはね、“読む”っていう発想はないんでしょうね。目に訴えてる。でも、この句は「血」にすることで、耳にまで訴えかけてくるところがある。…なんだか、すっごい、いい句に見えてきましたね、これ(笑)。

野口  いい句ですよ(笑)。

西原  この句は関さんの代表句とはいえないけれど、関さんのスタートを典型的に示した一句だとはいえます。

野口  あとがきで「俳句におけるアナトミー性の探求をしているのかもしれない」って書いてあって、それを思って読むと、余計深まってくる気がしますね。

西原  関さんの詠む対象が、俳句の枠組みにとどまってないのが面白いんでしょうね。

野口  句集全体に出てくる固有名詞の多さも目立ってますし、題材もさまざま。

神野  これだけ文学臭がするのに、関さんの句集全体読むと、境涯の作家だなあ、と実感しました。普通、前衛系の作品って、作者が見えてくるってこと、あんまりないじゃないですか。

野口  たしかに。

神野  でも、関さんの場合、なにを詠んだ俳句でも、関さんという作者に戻っていく。おばあさまの介護の句や、震災の句と並列されているからかもしれないけれど。カフカの句にしても、ああ、関さんがカフカを読んだんだ、ってところに戻っていくような気がする。句集全体で、なまなましい関さんをすごく感じた。

西原  そう感じるのは、ひとつには、作り方に凝り過ぎてないからかもしれません。修辞自体は、わりあいシンプルなつくりでしょう? モノを持ってきたら、わりとそのまま、リズムにあてはめる。もってまわったところがない。もうひとつは、文学臭への含羞…はじらい? 終わってるところからはじまってる人の冷静さがあるんだと思う。間違えるとペダンティズムに酔っちゃうわけだけど。

上田  固有名詞に寄っかかることに、なりかねない。

西原  恥じらいのおかげで、酔わずに、固有名詞を一句にパッケージしてる。だから楽しめるってことだと思った。

野口  そんな中で、たとえば「入歯ビニールに包まれ俺の鞄の中」など…いきなり出てくる「俺」の一人称が、また、ぐっとくるというか。

西原  「日本景」から句集がはじまってるのも、いいと思った。

野口  順番は入れ替えたりしたようですね。震災詠はどうでした?

西原  筆致に工夫は感じました。憐れみのようなものを呼ばないような書き方ですね、周到に。

野口  乾いてますよね。

神野  「Eカップと我も名乗らん春の地震」、これは良かったな。ヘンな自虐。

西原  翻弄されるならされるがままで、楽になったほうが真実に近い。かなしいとか頑張ろうってところにはなるべく入らないようにしたほうがよくて、入っちゃったら、そのコンテクストを呼び寄せてしまう。そうなっていないという意味で周到。ただ、好き嫌いでいえば、「日本景」のほうが好きです。

神野  関さんの句集、幅がとても広かった。「日本景」もあれば「マグデブルグの館」もあって、震災や介護のなまなましい句もある。彼にとっては、すべてそのときの書きたいものに素直につくった結果の産物のような気がしますが、その広さがよかった。これだけたくさんの句を一気に読んでも面白かったというのは、すごいことですよね。正直、ちょっと、さーっと早足で読んだくだりはありましたけど…。

野口  わたし、カタカナの句は、あんまり読めてないです。掲句は漢字、ということで。(笑)

西原  ぼくも、カタカナのところはとりあえずとばして読んだ。

上田  『俳コレ』の座談会で、関さんが、人を評されるときに「感情の分厚さ」という言葉を使っていて。きっと、それは、関さんが、作品の手ごたえとして意識しているものだと思うんですよ。つまり関さんの作品にこそ分厚さがあって、それはたとえば、被写体深度の深ーいレンズを使っていて、人間存在のいろんな深度にピントが合ってる、というようなものではないのか、と。だから、多彩でありつつ、本人が中心に居て詠めている、印象になるのではないでしょうか。

西原  パンフォーカスなんですよ。俳句でよくあるのは、逆に一点に焦点をあわせて背景をぼかす方法でしょ。例えば微細なところに焦点を合わせる。でも、関さんの句は、部分とか切片にいかない。全体で捉える。背景も、がばっと、全体で捉えてしまう。

上田  そうそう。さっき、天気さんが、作り方は単純だって言ったじゃないですか。「エロイエロイレマサバクタニと冷蔵庫に書かれ」。思いついた絵をそのまま描いてるんだって。そういう書き方って、わりとイラストっぽくなりがちなのに、ぜんぶ、それなりに、がっつりとくる。

西原  それは、ネタが面白いという部分も大きい。ネタがこってりしてる。しっかり食べられるネタを持ってきたら、調理はあっさりでいい。だから、助詞とかつなぎとか、わりとシンプルですよね。

神野  調理法ではなくて、どんなネタを…っていうところ、俳句の醍醐味ですよね、当たり前だけど。

上田  いや、ネタというと、作品の外部にある面白さのような感じがするので、ここは、心意気と言いたいんですけど(笑)。

野口  フェティシズムがあるわけじゃないのに…いや、あるんですかねえ…。

西原  全量で捉えてる。全体というより、全量感。そういう意味では、フェティシズムとは逆かもしれない。たくさん句を並べてるのもよかった。それから、人によっては、句それぞれのテンションや質にばらつきがあるように見えるかもしれないけれど、たくさん並べれば、それも魅力になります。

野口  その人の作風になるってことですね。

西原  間引いていくタイプの作家じゃなくて、この八百句くらい入ってるのがよかった。ただ、知ってる句が多かったですね。すでに「豈」や「ぶるーまりん」などで読んでいたものが多かった。

野口  発表したときの作品群は、できるだけそのかたちのまま載せてる感じですよね。連作性もある。

神野  逆に、まだ読んだことない作品を探す楽しさが、ある。

西原  「人類に空爆のある雑煮かな」が入ってるのも、いいですね。この一句があることで、句集の核になる。誰もが、いい句だっていいやすい句だし、実際、いい句です。この句があるのとないのとでは、まったく違うでしょうね。

神野  発表されたのは、週刊俳句の新年詠の依頼によって、ですよね。

上田  そうそう。二年前かな。池田澄子さんがおおいにショックをうけた、という。

西原  雑煮の句があったことで、ほかの全部の新年詠がかすんだからね。

野口  わたしはやっぱり、スパゲッティの句ですかね。「蝋製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ」。街で洋食屋さんのショーケースを見るたびに、思い出す。

神野  去年、若い俳人の句集がたてつづけに出ましたね。御中虫さんの『おまへの倫理崩すためなら何度でも車いす奪ふぜ』(愛媛県文化振興財団)、山口優夢さん『残像』(角川学芸出版)、中本真人さん『庭燎』(ふらんす堂)、青山茂根さん『バビロン』(ふらんす堂)、そして、年末に関さんのこの句集が出て、締めくくられた。そう考えると、御中さんにはじまり、関さんに終わった一年だった。

江渡  濃いね(笑)。

神野  この座談会の記事がupされるころには、もっと話題になっている句集だと思います。

(次回は週刊俳句編の書籍の話など)