2012年1・2・3月 第三回 週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(草思社)秘話

上田信治×西原天気×江渡華子×神野紗希×野口る理

神野  去年、週刊俳句プロデュースで、『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(草思社)という二冊の本が出ました。それぞれ、高浜虚子・正岡子規の俳句を、一日一句、合計365句鑑賞するという本です。鑑賞を書くのは若手俳人数人で、私は虚子・子規の両方を、野口・江渡は子規の本の鑑賞を書かせてもらいました。信治さんも、どちらにも参加されてました。この、俳句の鑑賞を書いていく過程のスタイルが、ちょっと変わっていて、驚いたんですよね。

上田  そう。はじめに、365句、全然決まってない(笑)

神野  そうそう(笑)。一般的な依頼だと、365句は、あらかじめ編集部が決めていて、その一覧で依頼される…

上田  振り分けですよね。

神野  そう、向こうから「あなたの担当はこの句です、よろしく」って割り当てられることが多いです。ではなくて、この『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』は、虚子または子規の俳句がうちこまれた大量のエクセルデータから、鑑賞を書く人間が、好きな句をチョイスできるシステムだった。どの句を書こうか、句を選んでいく楽しみがありました。

江渡  あの大量のエクセルデータ(笑)。

西原  一万四千句くらいあったかな。

上田  目を走らせていきながら…

神野  みんな、ひととおり、読みましたよね。

野口  季語や製作時期を考えて、月別に、エクセルのデータになってたんですよね。わたしたちに、そのエクセルデータがメール添付で送られてきて、「好きな句を予約してください」って。予約は、指定されたインターネットの掲示板上に書きこむことで成立して、執筆者は、書きたい句を選句→掲示板に予約→執筆して天気さんへ送付、を、繰り返しながら書いていくシステムでした。

上田  ほかの執筆者が、どんどん俳句をおさえていってしまうので、「あれ、もう五月の句なくなっちゃってる!」とかいうことがありましたよね。慌てたなあ。

神野  そうそう、パーティー会場に遅れてきたときの、あの、立食のお料理がほとんどなくなってる感じね。お寿司のイカやタコしか残ってない感じ。

西原  トロがないっちゅう話やね(笑)。

野口  イカもおいしいけどね(笑)。

神野  「え、薔薇の句でそっちとりますか!」的なことも。ある意味、奪い合いだった。虚子の本も、子規の本も、まず、書くひとが楽しんだ本ですよね。

野口  楽しかったです。

神野  書く人が、まず、フィールドに立ってプレーする、そんな本。それが読むひとにも伝わればいいなあ。

西原  なるほど。

上田  書いていく過程のことは、本には書いてないからね。

野口  そう。読んだひとは、きっと、あらかじめ俳句が振り分けられてると思うんじゃないですか。

神野  実際には、かなりスリリングな駆け引きを経たうえで、この本が成立してるってことを、言っておきたい。

上田  一句一句、このひとがこの句をわざわざ選んだってところも含めて楽しめる。

神野  信治さんが選んだこの句、信治さんっぽい!とかね。

野口  選句も見られるってことになりますね。

西原  でも、それって、50人くらいの読者には楽しいかもしれませんが、何千人の読者には伝わらないでしょ。

神野  たしかに、「信治さんっぽい」っていうのは無理かも(笑)。でも、そういう過程を経て書いているっていうのは…

江渡  珍しいタイプですよね。

神野  そう。珍しい、面白い。

西原  では、もし、第三弾があれば、そのことも書きましょう(笑)。

江渡  ぜひ。

西原  執筆者の好みも出るよね。○○さんっぽい選句、っていうのが。

上田  華子さんの選んだ「買うてきて冬帽の気に入らぬなり」。いかにも、今のひとが選びそうな句だよね。誰でもこういう経験あるだろう、っていう。

神野  なるほど。そういう意味では、わたしたちを媒介することによって、いまっぽい本になっている、っていうことはありますね。現代の感覚でも咀嚼しやすい句。

上田  われわれが喰いついた俳句しか入ってないから。

西原  むかしね、虚子が選んだ岩波文庫の『子規句集』読んだ。ぜんぜんつまらなかった。「わたしを俳句嫌いにさせたいのか」って思うくらい。延々、「暑さ」の句が並んでたり。子規の句って、類想の積み重ねってところもあるじゃないですか。だからそのときは「つまらない!」と思って投げだした、10ページくらいで。

神野  10ページ(笑)。結構、早かったですね。

西原  だから今回、あらためて子規の句が読めて、よかった。そう考えると『子規句集』は、面白い句を結構もらしてるよね。

野口  虚子、悪いですね…(笑)。

神野  まさか、子規の俳句が退屈にみえるように?!(笑)

野口  成り上がる…虚子陰謀説…。

江渡  そういえば、エクセルのデータ、とっても見やすかったです。検索や置換を活用して。

西原  そういえば、「梅と海」の話。

江渡  いやー、ごめんなさーい(照)。

西原  いやいや、こっちがごめん。エクセルデータが間違ってたんだよね。それで、その句を華子さんが鑑賞書いてくれて、再校終わった段階で、梅じゃなくて、海だとわかった。でも、華ちゃんの原稿、そのまま、梅を海に変えるだけで成立した(笑)。

上田  それ、可能だったんですか(笑)。

江渡  恥ずかしい(笑)。

西原  いや恥ずかしがることじゃなくて、それこそ、置換(笑)。

神野  それから、エクセルのデータで、どの句を書こうか考えてると、「へー、子規にもこんな句あったんだ!」っていうような、意外なものが結構ありましたね。

西原  そうそう。子規のほうは、もともと知られてない句がたくさんあると思うから、まだ分かるんだけど、「虚子にこんな句があったのか」っていう感想を、ベテランの方からもらったりして。「俳句」(角川学芸出版)に書いてくれた岸本さんも含め。

神野  角川の「俳句年鑑」の「今年の評論」のページにも、取り上げてもらっていましたね。筑紫磐井さんと、角谷昌子さんが。角谷さんは最後の2行、「ほかには、週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』の元気な鑑賞ぶりが新鮮だった」。

上田  「元気な鑑賞ぶり」(笑)。

西原  ああ、それは、紗希さんの担当分ですね(笑)。

神野  あれ、そうなの?(笑)

上田  磐井さんも「アンケートのおもむきがあって面白かった」っていうようなことを書いてくださってましたよね。

神野  どんな鑑賞を書くか、だけではなくて、どの句を選ぶかっていうことも、実は評者にゆだねられていたわけだから、よりアンケートに近いかも。

西原  書きたい句を書く評と、言われて書く評って、全然違うでしょ?書きたいものについて書いた評というのは、感じがいい。その良さが、どちらの本にも出たような気がします

上田  ごく勝手な思い入れでもって、書く。

西原  あとは、子規と虚子は、タイプの違う作家やから、ちょっと書き方変えなあかんなって、それは思った。

神野  そうですね。子規の場合は、学ぶというより、子規のことを知っていく嬉しさみたいなものを意識しました。

上田  読者のニーズはそれだと思います。

西原  虚子は、技の陳列になってるから。子規は、テクニックじゃないじゃないですか。

神野  「子規さんってどんなひと?」的な。

上田  正岡子規というひとに、興味があって入るひとが多いと思うから。

西原  書いてて、みんなも、俳句がどうこうじゃなくて、子規が好きになっていったでしょ?

神野  うん。かわいい、あいらしい。

江渡  きゅんとすることが、よくありましたね。

西原  子規がすごく親しい…友だちみたいな感じになっていく。

神野  わたし、子規のふるさとでもあり、虚子のふるさとでもある、愛媛の松山で育ったんですけど、松山は完全に、子規推し、なんですよ。高浜虚子の名前ってあんまり聞かなくて。碧梧桐と同列に子規の話の延長として出てくる程度。街のひとはみんな、子規さん、子規さんって感じなんですね。それが、俳句をはじめると、俳句の世界では、虚子に関する発言や書籍が、圧倒的に多い。あれ、意外と子規の俳句って話題になっていないんだな、というのが驚きでした。だから『子規に学ぶ俳句365日』って、案外、実のある本かなってちょっと思いました。

江渡  うんうん。

(満を持して登場、天気さん宅のもひとり、フェル)

神野  わたし、「あくびする口に落ちけり天の川」っていう句。子規にこんな句あったんだ、と思って新鮮だった。なだれこんでくる感じ。改めて、子規の全集を引っ張り出して、書簡と、文章と、俳句のところ見比べながら書いていく作業が、面白かったですね。ああ、27歳の春の子規はこうだったんだ、31歳の夏の子規はこうだったんだ、っていう。だいぶ近づいた感じがした。

上田  365句って、結構たっぷりなんですよね。だから、代表句もあり、笑える句もあり。意外な名句もあり。「芹薺汽車道越えて三河島」とか「蛇逃げて山静かなり百合の花」とか、自分としては見つけたーっていう感じでしたよ。

神野  『子規に学ぶ俳句365日』は、3年かけて放送された、NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」が今年で最後だったから、そのタイミングにぎりぎり滑り込んだかな、という印象でした。

野口  ブームはブームですよね。

西原  いや、僕はむしろ、ちょっと遅れたな…と思ってました。

神野  本当は、去年のこの時期(座談会を収録したのは12月半ば)が、正岡子規の臨終のシーンの放映だったんですよね。

西原  ドラマで子規がいつ死ぬかをおさえてなかった私の責任です(笑)。

神野  いま再放送なんかもしてるから、最後の追い風が吹いてるのかも。…そもそも、週刊俳句編として、『虚子に学ぶ俳句365日』っていう実用書を作ろうと思ったのはなぜですか。なぜ、実用書。

西原  それはね、なりゆきとしか言いようがなくて。週刊俳句として、こういうことやっていこうよ、っていうのは、特にない。だから、なりゆき。週刊俳句って、基本的にそう。

神野  なりゆき?

西原  週俳は、受け皿であり、場であって、積極的になにかをやるってことは、そんなにない。

上田  天気さんが嫌がるじゃないですか。

西原  私のパーソナリティに帰するのは止めていただきたい(笑)。

上田  戦略的に、と言ってもいいんですけど、だって、ごく初期の頃から、天気さんが言ってたのは、自分で面白くしようとしてがんばるの禁止(笑)。

西原  場であって、主体じゃないんですよ。ちょっとずるいですけど。だから、『虚子に学ぶ俳句365日』っていう企画があがったときに、「週刊俳句編」っていう名前でいけるなら、いってみよう、と。ここの「編」の名前は、誰でもいいんですよ。例えば稲畑汀子編、でもいいんですよ。でも…

神野  「週刊俳句編」にしたっていうのは、週刊俳句の、これまでの「場であり受け皿」っていうスタンスから、一歩二歩、前に進んでいるような気がするんですが。編をするわけで。

西原  それもなりゆきです。プランがあってどうこうっていうのは、週刊俳句には少ないですね。紙媒体とネットと、どう使い分けるか、っていう視点は、ない。何か事が起こったときにうまくやる方法を考える用意はあるけど、「紙でもやりたいね」っていう意見は出てこない。

神野  でも、ある企画が、紙に向いてるか、ネットでやったほうがいいのかっていうことは、ありますよね。

上田  はじめのころに、雑談で、紙出すとしたら…っていう話をしたことはありますよね。ただ、ネットじゃだめという理由が見つからなかった。

野口  ということは、この虚子・子規の本は、ネットでやる理由が見つからなかったというか、紙向きだった…?

上田  というより、この本はね、週刊俳句がしたことっていうんじゃなくて、「週刊俳句」という空っぽな名前をつけてみた、というものなんじゃないかな。

神野  天気さんが作った本なんだけど、「週刊俳句編」っていう名前がついている、っていうこと。

西原  いや、作ったのは、クレジットされた執筆者。とりまとめが週刊俳句。で、あえていえば、週俳内で私がメインで担当したという感じです。一方、『俳コレ』は、上田信治編にしてもいい。でも、そこに来る名前を決める基準は、商品として何がふさわしいかってことじゃないですか。とすれば、「週刊俳句編」が、商品の体裁としてベターな選択だということ。

神野  つまり「週刊俳句編(西原天気編)」であり、「週刊俳句編(上田信治編)」である。

西原  括弧の中は、週俳内部の話で、外に明示する必要がない、みたいな感覚かな。

上田  「週刊俳句編」というのは、特に意味のない名前だというところがよくて。基本的に「週刊俳句」を知らないひとに向けて作っているわけです。そうすると、「週刊俳句というものがあるんだ」ということと「週刊俳句が作った本なんだ」ということのふたつを、同時に了解してもらえる。

野口  壮大な広告ですね(笑)。

上田  本屋さんで見て、適度なあやしさと、オーセンティックな感じ。それが「週刊俳句編」。要は、表紙に何が書いてあるか、ってことだから。

神野  実質的にも、今までにないタイプの編集ではありましたよね。エクセルのデータ、好きな句を選んで書く。そういう意味で、やはり「週刊俳句編」の個性はあった。

上田  『俳コレ』のほうでも、そういうことがあってですねぇ……。

(次週は、俳コレの話をうかがいます)