上田 牙城さんと電話で3冊目を出しましょうよ、って話してたんですよ。2010年の『超新撰21』のパーティーも終わった、暮れの日に。『新撰21』『超新撰21』の撰者3人を変えて、また別の撰者で作ればいいじゃないですか、って提案したんです。2冊やってみて、これでもう全部なの?という気持ちがあった。撰者を変えればまだ作家はいるでしょう、もう1冊やりましょうって話をしたんですよ。それは、僕が、『超新撰21』のシンポジウムで、新撰・超新撰世代150人150句撰をやって、まだいっぱいいるなぁ、やりたいなぁ、いくらでも作れちゃうじゃんって。下手すりゃ前のより良いのになっちゃったりするよーと思って。
西原 うん、少しずつ当時のことを思い出してきた。
上田 で、電話で牙城さんに「やりましょうよー」て。撰者をガラっと変えるところから。でも牙城さんはね、その3人はもう精一杯やって、ベストの撰者とベストの作者で2冊やったから、もうそれでおしまい、というつもりでいたみたい。
西原 それまでの42人や撰者への義理立てもあるしね。それは大事なこと。
上田 でも、それは牙城さんと撰者との関係じゃないですか、本が出たら作者は幸福なんだからやりましょうよ、資料提供しますよ、って。僕は『超新撰21』(邑書林)に入れてもらって、めちゃくちゃ嬉しかったからね、そこは一生懸命。それで、かれこれ1時間以上ぐだぐだ喋ってたんですよ。
野口 それは暮れの電話のことですか?
上田 そうそう、あっちもこっちも酒入ってて。(笑)で、牙城さんが、ぽろっと「週刊俳句編で出す?」って。で、それだぁー!と思って。
神野 「それだぁー!」って。(笑)
上田 実はそれ、ぜんぜん考えてなかった。牙城さんのアイディアです。週刊俳句編っていうのが、絶妙に無責任かつ、なにか意義ありげな感じで。
神野 「週刊俳句」って、俳句の、第三世界みたいな感じになってるのかもしれないですね。
上田 え、どういう意味?
西原 週俳は格好のオルタナティブってことかな。週俳イコール「第9地区」のほうがうれしいけどね(笑)。
野口 これ、「撰」とはなってないんですよね。「編」。でも結局、「撰」でもあるっていう。
西原 アンソロジーは「撰」イコール「編」ということになりますよね。
野口 撰ぶのは大変でしたか?
西原 わ、急に段取りっぽくなってきた。(笑)
上田 そりゃあ、やりにやりましたよ。
神野 会議みたいなものを重ねたんですか?
上田 会議もやりましたよ。メール会議。
西原 牙城さんと信治さんの電話が12月24日。で、手帳を見てみると、信治さんとふたりで佐久に行ったのが2月6日。つまり1月の1か月間で、信治さんとわたしで、かなりやりとりしたってことです。
上田 というのも、高柳さん(「現代詩手帖」2010年6月)と高山さん(豈weekly「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(一覧篇))の続きの100句撰を、週刊俳句でやったんですよ。
野口 あぁ、私家版「ゼロ年代の俳句100句」─作品篇─ 。
上田 そうそう。2010年の真ん中へんをがばっと使って。で、そのあと、竟宴のシンポジウムのために150人150句撰っていうのをやった。だから俳句文学館に通った通った。(笑)
野口 まじめ・・・
上田 それで、かなりたくさんの作家の良い句を10句ずつくらい書き抜いてあったので、それぞれ比べて勝ち抜き戦みたいな感じで。さらにしぼられた人の俳句をもう1回集めて、みたいなことを1月の1か月間でやったんですよ。
西原 そのうちに他撰っていうアイデアが出て。
上田 そうそう。
野口 それにしても、刊行前に重版ってすごいですよね。元々少なめに刷っていたんですか?
上田 いや、作家さんの買い取りが多かったんです。謹呈とか。せっかく作ったんだから、多くの人に読んでもらうために周りの人には配ったほうがいいですよ、ってお願いしたんです。
西原 信治さんのお願いもそうだけれど、週刊俳句編っていうのも影響あるかもね。
神野 「週刊俳句」が本来もっている“手弁当”感…いっしょにやろう感があるのかも。
西原 そう、権威も何もない「週刊俳句」が一生懸命やってるみたいだから、少しは協力してやろうじゃないかってひとが多かったんだと思う。
上田 だとしたら、ありがたいことです。『新撰21』が出た時ほどのインパクトを世の中に与えるのは難しくって、そこが心苦しいんだけどねぇ。その分、プロモーションは頑張ってるんですが。10出して1個でも引っかかってくれりゃいいと思うんだけどね。
野口 『俳コレ』の制作過程で、外部の校正の方が目を通されたときに、「現代俳句がこんなに面白いものとは知りませんでした。」とおっしゃっていたと伺いました。
西原 そうそう。あれはとても嬉しかったですよ。
上田 俳句って一般読者にとってリーダブルなものだと思ってなかったですものね。それはね、俳句というものが少しずつ変わってきているところかもしれない、と思うんですよ。『俳コレ』で僕が一つ「やったな」と思ってるのは、自分が書いた林雅樹さんの小論なんですけれども(笑)、俳句の挨拶性とはクリスマスのプレゼント交換のようなものだということを書いた。でも一方で、挨拶性の対極にある、まあ、言ってしまえば芸術性もあるから、俳句というのは何百年も命脈を保ってきているんだと思うんですよ。だから、プレゼント交換の関係性の内部で作ることと、そうではなくていちいちこれは詩なのだ芸術なのだと思いながら作ることが、2層に分かれつつある。
野口 それは一人の人間の中での2層ではなくて、俳句人口の中で2派に分かれてきているということですか?
上田 もともと一人の俳人の中にあってしかるべき二つのものが、人によってぜんぜん向いてる方が違うというふうになっている。今年の年鑑で伊藤伊那男さんが、俳句が、感性勝負の象徴詩のような書き方をする人が多くなってきているけれど、やっぱり伝統的な俳句骨法というものを大切にしてほしい、感性だけではなく年季勝負だ、と書いていて。象徴詩化というのはするどいところを突いているなと思ったんだけど・・・。
神野 前半はうんうん、後半は、うーん?
上田 感性に対応するものとして年季を持ち出されると、感性が終わっても書けるものとしての年季、ということになるよね? 小川さんが「俳句は型」だと言ったときに、漏れ落としてしまったものを、本当にすっかり漏れ落としてしまったような型、ということになる。それは、クリスマスのプレゼント交換、つまり「俳句らしさ」の内部にあるものを交換し合って喜ぶ、という社交の世界になってくる。
江渡 プレゼント交換で思い出しました!(プレゼントを出す)
神野 あ、そうでした!
野口 このタイミングですか。(笑)
神野 結局、「よみあう」をお願いしておきながら、おうちにおしかけてしまって、年鑑を隅から隅まで読んでいただいたりしてしまって、ええとささやかながらプレゼントです。
江渡 靴下です。
西原・上田 ありがとうございます。
上田 おお、かわいい。これは、履く。
野口 で、ええとなんだっけ、伊那男さんの話。
上田 そうそう、俳句にはプレゼントのようなものとしての徳が、歴史的にあるんだけど、それだけを良しとすることが足を引っ張る場合があると思うんですよね。僕はね、それを良しとしている人を傷つけないようにしていきたいんだけどね。
神野 それは、クリスマスプレゼントだって思ってる人を・・・
上田 いやいや、ほんとにクリスマスプレゼントだって思ってる人なんて僕くらいしかいないよ。(笑)
神野 ええと、伊那男さんみたいな人。
上田 そうそう、そういう人と共存したいし、そういう俳句の良さも知ってるつもりなんだけどねー。でも、そのやり方で生まれたものが、現時点でそのサークルを越えた価値を持つか、あるいは、10年後に読んでどうかってなると、かえって歩留まりが悪い気がするんですよ。
野口 では『俳コレ』はどんなひとに読んでほしいですか?
上田 そういう意味では、偶然だれにでも読んでもらえたら嬉しいですよね。あと、俳句はまとめて読まないと作家性というものが印象に残らないようなところがあるので、名前だけ、なんとなく印象に残った人を、読みなおしてもらえると嬉しいですね。
神野 俳句って、一句独立が当たり前ってところがあったと思うんですけど、『新撰21』からはじまって、アンソロジーの面白さ…アンソロジーにすることによって結果的にあぶりだされてきたのが、「作家で読む」ということ。作家性って面白いんだってことが再認識されましたよね。一句の面白さを、技術を中心にうんぬんかんぬんするんじゃない、作家性で読ませることにも注目したい。
上田 100句出せるとねー。これは勝負しがいがありますよ。
神野 たとえば、境涯のにおいが濃い、松本てふこさんと矢口晃さんが戦う、みたいな。
上田 そうそう。それは『新撰』『超新撰』含めて、伝統系なら誰が強いんだ、とか。あるいは、前衛的な書き方の人と、オーソドックスな人が腕力を競うとか。そういう読み方ありますよ。
西原 怖い話ー(笑)。
野口 あと、この並び順についてよく聞かれるんですけど・・・。
神野 ああ、たとえば、なぜる理ちゃんが一番最初なのかって。
西原 それは、ツカミ、ツカミでしょー。
上田 いろんな並べ方を検討して、最終的に座談会のあとに決めました。
西原 そう、座談会でね、異様にウケたんですよ。あ、異様にってのは失礼やね。
野口 あ、わたしがですか。(笑)
西原 なんでこんなにウケるんやろて思うくらい。(笑)って、めちゃめちゃ失礼なこと言ってるけどね、ふつうに褒めたんじゃ照れるでしょ。
江渡 分かってらっしゃる。(笑)
野口 ありがとうございます。(笑)まぁ、わたしの場所はさておき、後ろまでずっと全体のこの並び順っていうのはどうなんですか?
神野 まぁ、アンソロジーってさ、人選はもうね、うんぬんしてもしょうがないので。並び順。
上田 しょうがないとは、なんですか(笑)。
西原 逆にどう想像したか聞いてみたい。
江渡 年齢順になるのかなぁとか思ってた。
西原 読んでみてどう思った?
神野 ノリで決めたのかなって。(笑)でも、前半に若い子を集めてるあたり、おさえるところおさえてますよね。ツカミとおさえはしっかりしてるとおもいました。
西原 途中は暴れてる。
神野 その途中のところが、ある意味、週刊俳句編になったことの一番の個性なのかもしれないですね。
西原 暴れるあたりの流れを一番工夫しましたよね。純然たる「上田信治コレクション」ということになると、ちょっと控えめというか、おとなしめになると思うんです。だから、そのへんに誰を持ってこようか、というのを結構話し合いました。
神野 だからこそ、信治さんではなくて週刊俳句編の個性が出たってことですかね。
西原 というより、信治さんが自己客観化を働かせたということかもしれませんね。
上田 自分だけの感覚で選んだら、つまらなくなるだろうな、というのはありました。牙城さんが推したひともいるし、西原さんが推したひともいます。僕は、る理さんは、作品少ないからむずかしいかなと思ってたんだけど、牙城さんが、十何句か出した資料にいたく反応してくれて、ぜったいこの人入れようと、プッシュされた、ということがあったりとか。
(次回も、俳コレの話のつづきをします!)



