2012年7・8月 第四回 たくさんの椅子を汚して運動会  斎藤朝比古 (村越敦推薦)

村越敦×千倉由穂×高崎義邦×神野紗希×野口る理

たくさんの椅子を汚して運動会   斎藤朝比古
(『豆の木 No.16』2012.4)

野口  これは、「豆の木」最新号から?

村越  そうです。2012年春号。

野口  こしのゆみこさんが代表をしている、同人誌ですね。

神野  「豆の木」を読んでみて、どうでしたか。

村越  すごく楽しんでますよね。俳句を、真剣に楽しくやっているのが、本を見ていても伝わってくるし、作品もそう。朝比古さんの句は、自分の目指している俳句とは違うんですけれども、俳句に対する姿勢は共感するし、見習いたいとすごく思います。

神野  この俳句を選んできた理由は?

村越  まず、リアリティがあるじゃないですか。学校の中にあるたくさんの椅子が全部校庭に並べられて、保護者席になったり、カメラを置く台になったり、競技に使われたりするわけですよね。つまり、ふだんの椅子の使い方と全然違う。運動会の景色を切り取るときに、椅子があまねく汚れているっていうところで、運動会の盛り上がりや楽しい空気感を語っているのは、すごく素敵だなと思いました。

千倉  運動会のときの記憶で、クラスにある自分の椅子を外に持っていって並べるってことをしたじゃないですか。そのとき、椅子の脚を汚しますよね。応援で立ちあがったりして、椅子がずれて砂に食い込んで、汚れるかんじ。

高崎  すごい、いい句だなと思います。気づかなかった視点…運動会をどうやって表すかっていうところで、こういう切り口を見せてくれた。ああ、運動会だなって共感できます。

野口  内容もすごく分かりやすい句だし、運動会のかんじが出ていると思います。この椅子は、パイプ椅子じゃなくて、教室の椅子なのかな?私はパイプ椅子のイメージだったな。高校生くらいをイメージしたからかな。

高崎  なるほど。

野口  「椅子を汚して」っていうのは、椅子の脚だけじゃなくて、ふだんは座るところに土足であがっちゃうのもあるよね。いろんな汚れ方がある。…そう思うと、ちょっと「たくさんの」が広すぎるような気がします。もう少し、椅子の汚れ方にクローズアップしていく詠み方もあるのかな、とは思いましたが。でもこの「たくさんの」によって、運動会の活気、人数みたいなものが出るんでしょうね。

神野  あえてちょっと幼い「たくさんの」っていうような言い方をしているからか、朗らかな印象を受けますね。それが運動会らしさを出していると思います。でも、私も「たくさんの」は気になりました。「たくさんの」と全体を示すことで、細部は見えない。「運動会というのはたくさんの椅子を汚すものですよ」という事実を、言葉として提示した面白さがあると思いますが、言葉にとどまっている感じはしました。「あるある」の楽しさの要素が強い、ということかな。

野口  うんうん。

神野  村越くんの句に、少し似てるよね。

野口  あ、「それぞれに花火を待つてゐる呼吸」。

村越  え、そうですか(笑)。

神野  全体性を素朴な言葉で捉えようとしているあたり。ただ、村越くんの句の場合は「呼吸」までたどりつくことで、全体と一人一人の個が通い合っていて、俳句も呼吸している感じがする。

村越  朝比古さんの俳句の良さについて、考えてみたんですよね。まず、僕たちのいる現実世界があって、もう一つ、理想の世界…イデア界のようなものがある。この句で言えば、まず運動会ってたくさんの人がいるわけじゃないですか。すごく活気があって、賑やかで、土煙りが飛んで。そんな運動会のイデア像が前提にある。朝比古さんは、現実を踏まえながらも「こうだったらいいのにな」という世界に限りなく寄った状態で俳句を立ちあげるのが、すごく上手な人だと思っています。

神野  朝比古さんの俳句は、箱庭のようですよね。

村越  ああ、そういうイメージです。

神野  ミニチュアだってことが分かるように作ってある気がする。あえて、少しチープにしてある。「たくさんの」っていうのも、そのチープさ…さっきは幼さと表現したけれど、そういう言葉を使うことで、ミニチュア感が出てくる。運動会の箱庭のような句だなあと。

野口  創造主という傲慢さ、ではなく、夢中になって遊んでいる感じ。

神野  この作品の中だと「帰省子のキャラメル色に暮れゆけり」かな。

村越  「帰省」「キャラメル」「暮れる」っていうコンビネーションは、「イメージが近い」っていって拒否する人もいますよね、きっと。

神野  そうだね。この句はコンビネーションの仕方にちょっと新鮮さがあるよね。「帰省子がキャラメル色だ」っていうところ。言い方に工夫があると思いました。

村越  たとえば見開き2ページ、句を並べたときに、これほどおおらかに、大きな呼吸でものを見ている姿勢が一貫して伝わってくる人は、他になかなかいないなと思ってるんです。束で読んだときの不思議な説得力というのも、朝比古さんの魅力の一つです。

神野  うん、ブレない男だよね。安心感がある。

野口  私は「雪吊の雪無き刻を吹かれをり」の句ですね。

村越  巧い句ですね。

野口  「刻」はそんなに好みではないですが、がらんと吹き抜ける感じがさびしくも乾いていて気持ちがいい。

神野  巧みな作者ですよね。このくらいのバランスが俳句の黄金律だっていうのが、よく分かっている。「やはらかく突きて遠くへ紙風船」なんて特にそうですね。普通のボールなんかは、強く突いて力を与えたほうが遠くに飛ぶわけですが、紙風船というのは「やはらかく」突くことで「遠く」へ行くんだ、という発想の転換。どの句も、意外性と共感の配合のバランスが一定しているから、句のトーンが整って見えるんだろうね。

村越  ふーむ。

神野  さっき、村越くんが朝比古さんの句に対して「自分の目指している俳句とは違うけれど」という留保つきで選んできていたけれど、自分の目指す俳句っていうのは、どのへんにあるのかな。

村越  うーん、難しいですね(笑)。朝比古さんが「こうだったらいいのにな」という箱庭、ミニチュアのような世界を書いているんだとしたら、僕はそうではなくて、もっと現実のものをそのまま切り取りたい。もっとリアルなものを書きたいっていう意志は強いですね。じゃあ、手法としてどうするかって言ったとき、現実的なものをたくさん並べて説得力を出す…たとえば関悦史さんの句のように圧倒的な事物のパワーですごい推進力で句集を読ませるっていうタイプではなくて、もうちょっと古典的な俳句形式の中で、現実を書けたらいいと思います。

神野  なるほど。

村越  朝比古さんって、全然、「苦」のかんじがしないじゃないですか。僕も、そんな風に息長く俳句形式と付き合っていきたいと思います。

神野  村越くんは、俳句をやっていて楽しい?

村越  楽しいですよ!苦しいと思ったことはあんまりないです。

高崎  ええっ。

神野  高崎くんは苦しいことあるってこと?

高崎  そうですね。僕は巧みな俳句が作りたいわけじゃなくて、印象的な俳句が作りたい。そういうホームランのような俳句が理想なんですけど、なかなか打てないから、理想と自分の現在の立ち位置との距離感に、ジレンマはありますね。自分の俳句を見て「ああ…」とため息つくときはある(笑)。だから、全部が楽しいってわけじゃない。

村越  理想としている俳句っていうのが、結構はっきり分かってるってこと?

高崎  いや、むしろ理想はぼやけてるんですよ。まだ、分からない。形式がどんな句でも、一句がなんらかのダメージを与えるような俳句ができたらいいと思っているので。

神野  出来てみないと、分からないってことだ。本当は、出会ったときに、理想の俳句像がはっきりしてくる。

千倉  私はまだ、楽しいですね。はじめて間もないので…自分の好きな瞬間を残しておきたいっていう創作意欲があるので、あまり苦しいと思うことはないですが、いつか書きたいものが出切ってしまったら、苦しくなるのかな。私の句を読んでくれた人の中で、その気持ちわかる、その情景わたしも見たことあるって思ってくれる人が一人でもいてくれたら「やったあ!」って感じですね。そこで共有できる。

村越  紗希さん、る理さんはどうですか。

神野  苦しいこともあるかなあ。苦しいというより、これっていう俳句が出来ないときはあるよね。そういうときは待つしかないので、私の場合は、お散歩したり、小説読んだりして、のんびり待ちます。あれ、あんまり苦しそうじゃないね(笑)

野口  まぁ私、だいたいのことは楽しくなっちゃうんだよね(笑)決して、ラクじゃないけれど。

(次回へ)