桃缶やねむれば時間なきごとし   神野紗希

実感と詩情を湛えた中七下五のフレーズ。時間の経過に驚く目覚めは誰しも経験あるだろう。このよくある経験を、いかに一般的にはせずに俳句に仕上げるか、というのは上五に懸かっている。
ここでたとえば「白桃や」とすれば、白桃の柔らかさや甘さや手触りと、眠りのイメージが繋がり俳句らしくはあるが、ここまでの発想の流れは実に一般的だ。
掲句は、白桃のイメージはそのままに〈桃缶〉と少しずらされている。眠りの外の世界としての〈缶〉の冷たさや、シロップの包み込む密度にも思いが巡り、なにより〈桃缶〉という略語がくっきりと響く。缶詰の中でその命を永らえさせる桃はまさに〈時間なきごとし〉であろうか。
一般的な句、つまり月並みからの飛躍のために、作家は言葉を尽くし続ける。

「君それは」(2016.4)より。