蝶の足四、五本触れて電話切る   野口る理

 昨日の〈蚯蚓より蚯蚓生まるる夜の星〉の句と同じく、小さな生き物の句。〈蚯蚓〉の句の完成度に惹かれるが、この句にも不思議な味わいがある。

 蝶の足がどこに触れているのか、しかと定めることができない。「私」の体のどこかにか、電話機にか、あるいはもっと別のものに触れているのかを、この句は語らない。

 「蝶の足」が何かに触れる景を詠む句としては、たとえば〈蘂に置く蘂よりほそき蝶の足 粟津松彩子〉があるが、比較すると、る理さんのこの句が具体的情景の再現を強く志向していないことが分かる。ざっと引かれた描線によるデッサンのようだ。しかし、その中から、「蝶の足」だけは、「四、五本」という限定によって、細密画のようにありありと突出してくる。蝶の足の数を、このような叙法の中で詠んだ句を私は知らない。

「眠くなる」(『俳コレ』邑書林、2011)より。