神野 今日は、どこで読み合っているかというと、新宿三丁目の京風和食料理やの個室です。ランチタイムに個室が使えるということで、インターネットで探しました。
野口 子ども連れが多いね。
神野 世のお母さんたちは、日曜のお昼に、こういうところでランチ会をしているのですなあ。
野口 本当は、台風三号が直撃した日に、集まる予定にしてたんだよね。
村越 あの日はやめてよかったですね。
千倉 風が怖かった…。
高崎 僕も怖かったですよ。
神野 高崎くんも?(笑)
野口 そういえば、村越くん、選べるメインは「豚せいろ蒸し」にしたけど、それでよかった?竜田揚げもあったんだけど…。
村越 いや、これがベストでした!完璧です!(笑)
神野 ここね、お茶バーもついてるのよ。24種のお茶バー。
野口 ねえねえ、お茶タイムしない?
神野 うん、とりにいきましょう。はちみつほうじ茶、りんごジンジャー、ダージリン、黒豆茶、選んでお湯をそそぐドリンクバーです。
(たくさんの種類が)
夏休み終わる!象に踏まれにいこう! 山本たくや
(「俳句 2月号」(角川学芸出版、2012)
神野 ふう、ひと息ついた。
村越 ああ、これ、鬼貫の人?
高崎 そうです。鬼貫青春俳句大賞の受賞作です。
野口 「俳句」(角川学芸出版)2012年2月号に、受賞作が転載されてるんだね。
高崎 去年の年末に、NHKの番組で、大学生が俳句でバトルする「学生俳句チャンピオン」の収録があったんですね。終わったあとで、同じく参加者だった、黒岩徳将くん(「スウェーデンの孤独」)と話す機会があって。その場で「山本たくやっていう俳人がいるよ」って紹介されて、僕に衝撃が走って。
神野 ふむ。
高崎 ちょうどその頃、僕は俳句に対してマンネリ化してるときで、すごい刺激になったんですよね。僕の中で、ひとつのホームランの打ち方だな、と。この句が良い句かどうかは分からないんですけど、僕は印象に深く残ったんですよ。あとは、こういう句でも賞がとれるんだなっていうことが証明されたことも、モチベーションになった。
野口 この句についてはどう?
高崎 あんまりみんなで語り合う句じゃないかもしれないですけど(笑)。
野口 んーと、受賞作の30句の中でも、この句を選んだ理由は?
高崎 夏休みに象に踏まれに行くんじゃなくて、もう終わるっていうときに踏まれに行こうって思うところが…
村越 …え、そこ!?(笑)
高崎 いや、こういう句って、因果関係が説明できないじゃないですか。でも、なんとなく心が伝わるっていうか。分からないんだけど、分かる。「象に踏まれる」っていうところが、とにかく衝撃だったんで。
千倉 象に踏まれる…ガツンと来ますね。「プール行く」じゃないのかよ、って(笑)。
神野 私は、「いっぺん、象に踏まれてごらんよ」って言いたいけどね。
村越 え!?(笑)
神野 うん(笑)。いや、句がバーチャルでしょ、すごく。この人、象に踏まれたいわけじゃないよね。
高崎 無責任な感じ?
神野 現代性ってこれじゃないぞ、って言いたい気が、ムラムラおきてくる俳句ではあるよね。現代の空気感って、これじゃないぞって。
村越 僕の感想も、それにすごく近いですね。
神野 もし上の世代の人が、これを若者らしい、現代らしいって言われたら、「ああ分かってないな」って思うだろうな。
野口 こういう俳句の書き方って、船団ぽいっていうか、坪内稔典さんぽいなって思います。もう、ある書き方。
高崎 坪内さんの派生形ってことでしょうか。
村越 目指したい方向は分かるし、一句一句が一発ギャグみたいに出てきてはバッと立ちあがって去っていく感じだと思うんですけど、正直、全体的に、スベってる気がする。
野口 あとは、30句全部に季語が入ってるところも、私はちょっと冷めちゃうかな。
村越 ああー。
神野 新しげに見えて、実は保守。
村越 意外とベタな句もあるんですよね。「ドーナッツ型人間関係麦の秋」とか。
神野 そういうの、「○○型○○」でぽんと取り合わせするとか、「船団」のひとがよく作ってる、俳句の型だよね。
野口 型破りっぽい、型。
神野 型なのがダメってわけじゃないんだけど、型をどう生かすかっていうときに、まだこのひとは、型の面白さだけかなってところがある。「ちょっとくらいカボチャになってもいいでしょ」って言われたら、「どうぞ、なってください」ってスルーしちゃうんだよな。俳句に向き合ったとき、「だから何?」といったあとに追いかけてくる、うまく言えないような魅力が、あまりない。センスの問題なのかな。カボチャじゃびっくりしないよね。同じ俳句のパターンを使っていても、そのへんのセンスが、坪内さんは全然違って、坪内さんの俳句には、キュンとするんだけどなあ。
高崎 完成したものがスベってるかもしれないけれど、試みについて評価したいんですよね。今の俳句界についての知識はないですが、新しいものを作っていこうっていう人たちがどんどん出てこないといけないって思ってるんで。今の俳句界の中で受け入れられる良い句を作ろうっていうのじゃなくて、どんどん試していこうっていう姿勢でいたいです。守る人と、新しいものを試みる人と、どちらも必要。だから、荒削りで未完成でも、僕はこういうプレーヤーを見習っていきたい。それに、こういう冒険を、賞を与えることで評価する俳句界にも感動しました。
神野 うーん、でも鬼貫俳句大賞は、むしろ現俳壇の中心からは遠い位置にあると思うよ。むしろ、現俳壇と闘ってるんじゃない?
野口 「船団」の人が多く受賞している印象があります。その賞を遡ってみたときに、この作風、そんなに新しくないよね。
村越 今、聞いていて二つのことを思いました。ひとつは、賞において、試みや姿勢やプロセスが評価されるっていうのはちょっと違うんじゃないかということです。評価対象はそこじゃない、あくまでできた作品だろう、と。もうひとつは、新しいものを作ろう、既存の価値観を逸脱しようっていう姿勢はいいと思うんですけど、ここまでに俳句が積み上げてきた歴史の蓄積があまり感じられないことですね。今までにどのような俳句があったのかということを踏まえたうえで新しい試みをするならいいですけど、それを知らないと「既存の価値観から外れたと思っていたけれど、実は案外ベタだった」っていうことが結構起こり得るので。だからなんとなく、適当にやりゃいいもんじゃないぞ、っていう感じがしちゃいました。印象論ですけど。
高崎 蓄積って、やっぱ、なきゃいけないんですか。
神野 類まれなるセンスがあれば、蓄積がなくても書けるかもしれない。でも、普通の人が普通の範囲で考えることって、たいてい試されてるからね。そりゃ、過去に学んだほうが効率いいと思うよ。坪内さんのこれまでの俳句の蓄積を見て、それでもこの句を書いてるんだとしたら…。
高崎 賞をとることで、作品が人の目に映る頻度がぐっとあがるじゃないですか。僕が目指してるような、新しい俳句っていうのは、賞以外ではそもそも取り上げられにくいと思うので、できれば賞によって世に新しさが問われて欲しいです。賞をとらなくても、いい俳句を作ってればいいんだっていう考え方もあるけど、それは理想論ですよね。やはり、人の目に触れる機会が増えないと、変わっていかない。
村越 だからこそ、賞に出す側は、責任を持って出してほしいと思うね。
神野 高崎くんの言っていることにぴったりくるのは、御中虫さんだよね。芝不器男俳句新人賞を受賞するっていうプロセスを通って、注目を集めた。類まれなるセンスもある。彼女が芝不器男俳句新人賞という賞を受賞した、ということは、驚きに値するし、それで変わるものもあると思います。だから、高崎くんの言いたいことも分かる。
野口 私は、この30句の中だったら「ぼーっとしてコップに滝が入らない」が良かったです。不思議の残し方が上品、な感じ。
村越 僕もその句です。でも、やっぱり、ちょっとわかっちゃうなあ…。
神野 その句は、本人の意図以上に理屈をこえた味わいがあるのがいいよね。言葉だけじゃなくて、体感として分かりますよね。滝に対したときのぼーっとした感じ。
村越 よく見たら、カバの句もちゃんと入ってるんですね(笑)。「八月のカバがほんのり本気です」。
神野 新しさって、すごく難しいよね。口でいくら「こういうものが新しい」って説明しても、結局は現物によってしか証明されない。だから、現物が新しさを感じさせるものでないと、説明自体がいくら正論でも、かすんじゃったりしてね。
高崎 そうなんです。だから苦しい。理想とする形が、出来てみないと分からないから。
神野 そうだよね。だから、自分でそういうものが書ければ嬉しいし、人が書いてくれても嬉しいし。だから俳句を作って、読みつづけてるんだろうな、私。
村越 そう思いますね。
野口 もし、高崎くんが、新しいものを目指していて、かつ、山本たくやさんの句に新しさを感じたなら、山本さんと同じような句を作っているのでは新しさにはたどりつけないはず。むずかしいよね。
高崎 なるほど。
野口 新しさは古びるからね。
神野 驚かせるだけじゃない、驚きのあとに何が残るのかっていうことを大切にしたいね。
(次回へ)