2011年6,7月・第六回 あといふこゑがふるへて春の底に○  御中虫(神野紗希推薦)

2011年6,7月   村上鞆彦×西村麒麟×生駒大祐×神野紗希×江渡華子×野口る理

神野   村上さん、今、どちらにおすまいなんですか。

村上   浅草の方です。最寄駅は、本所吾妻橋というところ。

野口   あ、じゃあ、スカイツリーが近いんじゃないですか?

村上   玄関開けて出ると、スカイツリーが見えます。

一同   うわー!(羨)

神野   それはスカイツリーをねらって引っ越したんですか。

村上   ううん、浅草がいいなって思って。

野口   スカイツリーがあとから生えてきた、くらいの?

江渡   生えてきた?!(笑)

村上   引っ越したときには、半分くらい出来てた。でも、僕の家は、浅草から隅田川を越えたところなんです。浅草は少しうるさいかなと思って。

江渡   谷雄介くんのおうちも近くなんでしたよね。

村上   うちが二丁目で、彼が三丁目。

生駒   近いですね(笑)

村上   前に高田馬場に住んでたときも、すごく近くだったのね。

神野   雄介が追ってくる。

村上   浅草に越すなんて何も言ってないのに、一週間後くらいに彼も越してきた。

江渡   すごい(笑)

村上   見かけたことないけどね。たまに彼の家の近くを通るけど。

あといふこゑがふるへて春の底に○   御中虫
(『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』愛媛県文化振興財団、2011)

神野   御中さんは、第三回芝不器男俳句新人賞をとった方です。応募作100句の評価は、賛否両論あったという印象だったんですが、句集のかたちになって、句が引かれたり足されたりして、より面白くなったというのが私の感想です。世界、全てに対する怒りが充満している句集で、なのに明るい方向へ向かっているところが稀有だと思います。腹が据わってるというか。沈殿しないで、怒りをバネにして飛ぶってところがあって、その爆発するエネルギーが、言葉からびりびり伝わるのが面白かったです。メッセージがはっきりしていると、陳腐に陥る可能性も高まるんですけど、そこを言葉をつなぐセンスで、俳句にしている。句集の中でも、フォントを変えたり、一ページごとの句数を変えたりして、変化をつけていて、それもユニークさを補強している感じがしました。その中でも、この句は、怒りみたいなものから少しはなれて、ある一人の人間の、ひとりの息遣いを感じる句です。春のつややかな雰囲気もあって。春、「あといふこゑがふるへて」しまう場面というと、性愛の場面かもしれないと思わせるつややかさ。

西村   ええー。

生駒   僕はあると思います。

江渡   へー、そうか。

神野   「あ」という声がふるえる場面って、他にある?

江渡野口   あるよー!

神野   春っていうものが世の中全体にあって、その底で、私が「あ」と声を出して、その声が震えた。そのことが、なにか是とするものであるってことが、最後の○に象徴されてるんじゃないかな、って思います。今生きている自分ってことが、なにかいいもののような感じがして、好きでした。

生駒   ○はどのように解釈したんですか。

村上   「是とする」っていったのは、この○の部分の解釈なの?

神野   そういう意味です。あとは、春の底にいる、今日の私のかたちなのかなと。視覚的なイメージもあると思います。

村上   僕は、なんて読むのかな?と思ったんです。「マル」と読んでいいのかな、と。

神野   フォントとしては、「ゼロ」ではなくて「マル」の形なんですよね。

生駒   「オー」の可能性は?

神野   楕円になってると、「オー」や「ゼロ」の可能性もありますが、全円なので。

野口   「マル」って読んでます?ピリオドではなくて?

神野   「マル」って読んだほうが、リズムがよくて好きです。

村上   一応、漢数字の「ゼロ」も、全円なんだよね。

生駒   ああー、なるほど。

神野   「あ」のあと、なにも言ってない、っていう、空白としての○、でもあるかな。

生駒   僕が思ったのは、「あ」というときの口の形。口紅塗ってるイメージです。そこが、性的なイメージとも重なるかな。

村上   僕、いま、堀江敏幸さんっていう小説家が好きで、最新作が「なずな」っていうんですよ。それは、四十代の男が、姪にあたる赤ちゃんを育てるっていう物語なの。そればっかり読んでるので、てっきり、「あ」って、赤ちゃんがよく言うんですよ。だから、「あ」は赤ちゃんの声なのかなってイメージを抱きながら読んだんです。

神野   春っていう季節は、エロスの季節ですが、エロスって、性愛のことだけではなくて・・・

村上   もののはじまり、というね。

神野   そうです。命のエネルギーがどんどん生まれる。

村上   しかも「あ」だから。

神野   「あいうえお・・・」のはじめの「あ」だから、はじまりのエネルギーがないまぜになってある句かなと思ってるんですけど。

江渡   「あ」ということと「○」っていうものの関係性は分かるんだけど、「春の底」とのつながりはどう考えてる?

神野   春が、とっても大きい世界だってことと、その結果、今ここで声を発しているものが、相対的に小さくなるってことかな。

江渡   「底」には、自分がいるの?

神野   うん、いると思う。

野口   私は、もっと普通に読みました。井戸っぽいなと思って。下見て、「あ」って言ってて、声がふるえるっていうか、反響しているような。井戸の底も口のかたちも丸いね、みたいな。普通に読めちゃうところが、逆に御中さんらしくないのかなって思いました。だから、この句集の中で、もっと挙げるべき面白い句はあったのかもって思ってます。

神野   御中さんの句って、「おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ」とか「歳時記は要らない目も手も無しで書け」とか、御中さんの独断場って感じの句も、もちろん好きなんですけど、禁忌を侵すことそれ自体をアイデンティティにするっていう方法は、何度も繰り返し使っていると、衝撃度が薄れてきちゃうってところもある。だから、なにかに対する分かりやすい反発ではなくて、こういう「あ」の句みたいなところから、むしろ新しい源泉が湧いてきてるんじゃないかなという感じがしました。

生駒   ある意味、俳句の外側にいた人が、俳句の引力にひきこまれんとして、そのあがきみたいなものが句になっているわけで、ひきこまれたあとになにがあるのかっていうと、こういう句があるのかなって気がしました。「○」っていうモチーフ自体は、そんなに新しいものじゃないですけど。

神野   虚子の「春の浜大いなる輪が描いてある」。

生駒   そこに「○」が書いてあるよ、というだけでは新しくない。

野口   そう、だから、新しいところを目指してるんだったら、これは普通なほうじゃないかな。

村上   むしろ、こういう文脈で読むと、「○」を「マル」と読みたくないねえ。僕は、今、ふと、泡なんじゃないかな、と思った。

神野   春の底に「あわ」!

村上   水中で、「あ」という声を出したあぶくというか。

神野   水輪のイメージはありましたね。

村上   ルビがついてないから、そう読んでもかまわない。本人は「違う」っていうかもしれないけど。どう読めばいいのかな。

野口   伏せ字かもしれない。

村上   「ピー」みたいな(笑)

神野   放送禁止用語的な?(笑)

野口   その可能性も。

江渡   春の底に、何かがあった。

生駒   でも、そういう読みの多重性をもった俳句を是とするか、それはずるいっていう風にみるか。

神野   私は、ケースバイケースかなと思ってます。この句の場合は、「ふるへて」っていうところも、揺れてるっていう意味ですから、句自体がそういうふうにふるえていると考えればいいのかなと肯定してます。御中さんの句集は、私、とても好きでした。第三回の田中裕明賞に出されるかな。楽しみです。

(来週は、野口る理の推薦句をよみあいます)

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