茶筒の絵合はせてをりぬ夏休み   野口る理

 昨日の句〈家にゐてガム噛んでゐる春休み〉と同様に家の中の出来事で、こちらは「夏休み」。昨日の句の「家」は家族と住む家でもいいし、一人暮らしの家でもいいが、こちらは、一人暮らしの家でないほうが私には趣が増す。

 茶筒は一日に数回開けるので、いつもきっちり絵が合うとは限らない。第一、一家の主婦には沢山することがあって、茶筒の絵柄を合わせることは優先順位の下の方にあることだ。そんな殆どどうでもいい些細なことをしたくなって、それを行ってちょっと嬉しくなるのは、たぶん帰省してきた子どもだと読みたい。茶筒の中の鈍い光を思い、茶筒の絵をきゅっと合わせる感覚を思うと、光と影が鮮やかな「夏休み」がふさわしいと思う。

「眠くなる」(『俳コレ』邑書林、2011)より。

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