2011年8・9月 第4回  坂道の上はかげろふみんな居る  奥坂まや(神野紗希推薦句)

2011年8・9月 SST×スピカ (榮猿丸×関悦史×鴇田智哉×神野紗希×江渡華子×野口る理

 

坂道の上はかげろふみんな居る   奥坂まや
(句集『妣の国』ふらんす堂・2011年6月)

神野   師である藤田湘子が亡くなったあとにつくられた句、という背景はあります。でも、その背景を抜きにしたとしても、亡くしてきた人たちを思う句として、普遍性を持っていると思います。「かげろふ」という、なにかぼんやりした影しか見えない、誰かがいるなってことだけは分かる、ゆらめいているものが坂の上にあって、そこにみんなが居るんだっていうときの「そこ」は、単に坂道の上でもあるんだけど、同時に、わたしたちが生きたあとの世界でもある。「かげろふ」の向こう側っていうのは、象徴的に読んでもいいと思ってます。人生という坂を上っていくと、坂の上が到達点で、そこには先に行ったみんなが待っている、というふうに散文で説明してしまうと、とても陳腐になってしまうんですけど、でも、この「坂道の上はかげろふみんな居る」の光景がまず眼前にたちあがって、その向こうに、人生観が透けてみえるということはある。

江渡   ふむ。

神野   この人がだんだん認識していく過程が書かれているのも面白いんですよね。まず坂があって、その上にはかげろうがたっていて、その向こうにみんなが居る。順番に書かれることで、懐かしい映像と、未来にきたるべき光景とがあいまって書かれているような、不思議なリアルさがあります。陽炎ではっきりとは見えないから、正確には、みんなが居る「気がする」ってことだと思うんですけど、そう信じたいっていう、信じる気持ちに胸打たれる。

 関   意味性は強いけど、それが嫌味なく、うまく出てるかな。

野口   追悼句っていう印象が強かったので、そこからどうしても抜けられなかった…

神野   誰かの死を悼んでる句っていうのは、十七文字からも感じられますよね。

鴇田   うん、そういう雰囲気はあるよね。読んだとき、背景を知らなくてもね。

 榮   前書きとかはなかったよね。

神野   ないです。

 榮   ふーむ。

神野   誰かを亡くすっていう経験は、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、誰でも直面することで、そういう経験を、一体どう乗り越えるのか。それは、生きていく上で、それぞれの大きな課題だと思うんですけど、なんだか、こういう乗り越え方があるのなら…っていう、希望をみせてくれる句です。

江渡   坂道が登り坂なんだろうってのも…

 関   「上は」だからね。

江渡   自分の視線がどんどん上がっていくのも、明るみに向かっている句であるんだろうなと。

 関   死んでみんないなくなったというんじゃなくて、成長していけばまたみんなに会えるっていう。

江渡   人生は、まだ苦しくて上り坂で…っていう風には読みたくないんだけどね。

神野   実際に、この句のなかにのぼる苦しさがあるかっていうと、あんまり感じないですね。ただ、上を見遣ればあの辺にいたという、そのくらいのことだと。

 関   そんなに急速に必死になって行こうとしている雰囲気はないから…

神野   ないです。ちょっと見て、あそこに居るってことの、安心感みたいなもの。あそこに、たぶん、絶対いるんだっていう、そう信じられるようになった心持ちが、「みんな居る」っていう言葉で希望として提示されてるのかなって。

江渡   さっきる理ちゃんの挙げた句(滝の前だんだんわれの居なくなる)は、結構長めの時間が句の中に流れたかなって思うけど、紗希ちゃんの選んだ句は、その一瞬…気付きの一瞬のところを詠んでる句で、その差が、二句ならぶと面白いね。

鴇田   僕は、読む人が読むと、ぱっと気持ちがリンクして泣いちゃうような句なのかもしれないけど、そうじゃなくても、不思議な存在感はあるかもしれないですね。非常に分かりやすいんだけど…

 榮   ちょっとジブリっぽい感じもしない?

江渡   ああー、分かります。

神野   懐かしい感じがしますよね。

鴇田   だから、ちょっと違う雰囲気ももってるんだよね。分かりやすいけど、かといって、ひとつの意味に限定されないっていうのが不思議な。

 榮   そういうこと。僕は、背景を知らなかったんで、普通に読んで良かった。

鴇田   でも、グッとくるひととそうでないひとの度合いの差が大きい句ではあると思う。

神野   『妣の国』っていう句集はどうでしたか。

 榮   良かったですよ。

 関   読みましたけど、猿丸さんがアレに圧倒されるというのは…

神野   twitterで、まやさんの句集が良すぎて「落ち込む」って書いてましたよね。

 榮   落ち込みましたね。僕はいい句を読むと落ち込むんですよ。いい句集を読むと落ち込みますね。

鴇田   俺は何をやってるんだ、ってことで?

 榮   いや、それよりもね、どっちかって言うと、打ちのめされる感じ。入れられてる感じがするんですよ。ああ、すげーいいパンチ入ってる、みたいな。ヤバい、みたいな。

一同   (笑)

神野   嬉しさとあいまって?

 榮   いきなり来る場合もあるし、ボディに入ってじわじわくる場合もあるし。そういうことがあるんだよ。年に一冊あるかないかなんですけど。

 関   年に一冊あったら多いね。

野口   結構ダメージある(笑)

神野   しんどいね(笑)

 榮   あ、言ったな?ここ、絶対削るなよ。俺はそういう句集いっぱいあるぞ。君たちは年に一冊もないんだな?

神野   うーん…打ちのめされるって感じじゃないからなあ…。こう、幸せというか。

鴇田   落ち込むのは猿丸さんの体質だから。普通は、「超すごいです!」みたいな感じになるのよ。

神野   感激はしますよね。

 榮   だから、『妣の国』、よかったです。いや、あのー、これはオフレコですけどね、句集全体の平均値っていうか、句の水準が高い。

野口神野   なんでそれ、オフレコなんですか(笑)

 榮   え、だってなんか偉そうじゃん。

野口   そんなことないでしょ。

 榮   句集ってさ、数句いいのがあったらもうそれでオッケーってところあるじゃない。でも…

 関   奥坂さんのは地力全体が高いよね。

鴇田   僕は、ちゃんと読めてないんだけど、ちょっと読んで疲れちゃって…ちゃんと読めてない。

 榮   まやさんは、自意識が強く出てくる句もあるから、トッキーが疲れちゃうのは、そういうところじゃない?

鴇田   うん、それこそ、男性性が強すぎて、キツいな、っていうところはあった。ちょっと気合い入りすぎで、疲れるなっていう。

 関   「炎天に歯車が犇いてゐる」とか「わが自我のごとき鉄塔雪降り来る」「打ち込みし釘に板割れ義仲忌」。

 榮   でも、この「かげろふ」の句(「坂道の上はかげろふみんな居る」)なんかは、自我とか力みみたいなものも抜けてる句だと思うんで。

鴇田   ああ、そうそう。そうだと思う。

神野   結局、その作家の句で、どの句が残っていくのかって、一冊にほんの数句だと思うんですけど、「かげろふ」の句は、句の背景も込みで、完成度も含めて、そういう句になっていくのかなって。

鴇田   エネルギーがすごいなと思った。

 関   奥坂さんの句、自分より偉大なものが出てくると自分が薄れるわけで。中で不思議で面白かったのが「水温む三角定規二枚つかふ」。

野口   それ、なんか不思議でしたね。

 関   これちょっとエロティックな感じが…

野口   えっ、そうなんですか…

神野   「水温む」だからですか?

 榮   関さん、敏感すぎるよ。「泉湧く」(*関さん推薦句「泉湧くヘルマプロディートスの彎曲   武田肇)とか「水温む」とかに。そりゃ、思春期だよ。

 関   中二病?(笑)

神野   関さん、一番中二病から遠い気がするんですけど…(笑)

 関   デュシャン好きですから。あと、人参の句。「正義感みなぎる人参の赤さ」。これは鴇田智哉の人参(「人参を並べておけば分かるなり」)とは違う。

 榮   俺、そういうのはダメなんだよね。

 関   「正義感みなぎる」とか大上段にきてて、それが「人参の赤さ」ってなると、赤レンジャーとかあんな感じになるのが面白い。

鴇田   あっはっは。

 

神野   まやさん、いい意味でホラーっぽいというか。だから、句を読むと、ここ(目の前)に居るんで。どきーっとする。

野口   『妣の国』ってタイトルが、もう、ホラーっぽいですよね。

 榮   賛否両論あるかもしれないけど、これだけのクオリティを揃えてくるのは、すごいと思います。

 関   世界観というか、感じ方がはっきり分かるなあという。

 榮   本当にすごいと思いますね。

 関   ほかにもいくつかあやしい句も。「芋虫の有耶無耶の肢づかひかな」「もも色のほのと水母の生殖器」。

神野   それこそ、水母の生殖器って、今までも見たことないし、これからも見る機会ないかもしれないけど、この句を知ったことで、「もも色のほのと」という感じなのかな、という、妙なリアルが。見たことなくても、そういうものなんだろうっていう満足感がもらえる句。

(次週は、江渡華子の推薦句をよみあいます)