紗希 山澤香奈さんは、私が俳句甲子園に出たときに、ライバル校のキャプテンとして出場し、優勝したという、ふるくからの友人です。いまは、愛媛県松山市の山澤酒店に嫁ぎ、一男一女の子育てをしながら俳句を作っています。
る理 今回の連載は、その子育て日記を書いていただきました。おりおり写真もupしましたね。
華子 かわいかったね(笑)同年代がこどもを生んでいて、その実感を目の当たりにして新鮮だったね。
かあさんもりんごのあかも気に入らぬ (2011年9月8日)
る理 かわいいよね。
紗希 うん。
る理 紙版スピカにも転載しましたね。ツイッター上でも人気でした。
紗希 林檎の赤って、ふつうは美しくて、子どもにとっても嬉しいものだよね。それすら気に入らない、ということで「母さん」が本当は大好きだってことが分かる。
華子 あえてのひねくれが素直すぎてわかりやすい。
る理 子どものほっぺたもきっと赤くて、イライラ感ですら愛おしい。A音の明るさも楽しかった。
紗希 母さんが、ダイニングテーブルに座って、林檎を手に遊ばせながら「うーん…」ってさみしくなってたり、いら立ちを抑えてたりするシーンが浮かんだな。
朝顔や粥に始まる離乳食 (2011年9月10日)
紗希さ これ、いいね。
る理 「朝顔」がうまいね。丸い、あざやかな花と、おかゆのお皿やスプーンの丸さが響きあう。
紗希 丸いもの好きのる理ちゃんらしい評やね。笑 朝顔の咲くころの、朝の風の涼しさと、お粥の熱というか湯気とも、絶妙な温度感でした。
華子 お粥から始まるんだね。こういう話聞けるのって新鮮。
る理 写真も可愛かった、寄り目。
紗希 さりげなく、母の手が娘の手を握ってるんだよね。きゅん。
帝王切開の痕に台風触れゆけり (2011年9月3日)
紗希 「カイザー」って言葉が新鮮だったな。でも「台風」はちょっと痛そうすぎる・・・。「秋風」くらいでどうだろうか。
る理 たしかに「台風」はやりすぎかも。きっと、それくらい痛かったのでしょうけれど。
華子 あと焦燥感もあったかもね。それまで、自分の中にあったものを出して自分が空っぽになったというか・・・。
紗希 「台風」だと主題は痛みになるから「触れゆけり」だともう一歩、って感じかな。たとえば「秋風」あたりだと、ある意味、もぬけとしての自分みたいなものが立ってくる。
長き夜の添い乳汽笛とどく部屋 (9月18日)
る理 乳の香に満たされた部屋に、我が子と二人でいる満たされた気持ちを感じさせながら、遠くへ思いを馳せるメランコリックな雰囲気もあって、不思議な句だと思いました。
紗希 童話のワンシーンみたいね。月光も差してそうな気がする。部屋まで汽笛のわたってくる距離の長さと、夜の長さ。わたしはまだ体験したことがないけれど、乳をあげるときの時間の長さみたいなものも、体感できました。
華子 「ちち」と「とど」っていうた行の音のリフレインが気持ちよかった。
る理 意外性があってよかった。「部屋」まで言いとめたところが好きですね。
紗希 この人にしか書けないと思わせる、子育て俳句を、こんな風にもっと読みたいな。
○まとめ○
る理 エッセイもとても面白く読みました。
華子 吾子俳句はよく詠まれているけれど、こういった時間も様子もリアルに伝わるものは珍しかったね。読んでて楽しかった。
紗希 やっぱり、なまの人間、なまの生活の魅力って、あるんだということを再認識しました。俳句はもちろん、書かれた十七音がすべて、というのが前提にはあるけれど、その十七音をいろどってくれるものとして、人間や生活の背景も活きてくるんだろうな。
る理 想像で書けるものを超えたところに、面白さがある、っていうところに、俳句の魅力があるだろうし、子育て俳句も例外ではないでしょう。
紗希 ただ、俳句はもう少し推敲できそうな句がいくつかあったね。これしかないっていう表現まで突き詰めたいという気はした。
る理 エッセイとは違って、結局、句に現れてくるのは、ふつうの善良な母親像、になってしまっているのが少し物足りなかったです。
華子 スケジュールの問題があったかもね。母親業だけじゃないでしょうに、これだけの量をよくこなしてもらえたなぁって正直すごく感激した。今回出た句をさらに推敲して作品として発表されてもいいかもしれない。
紗希 俳句における「子育て俳句」というジャンルは、女性俳句の歴史の当初から脈々とある伝統的なモチーフですが、20代の、現役ママの、リアルな子育て俳句を同時体験しながら読むというのは、なかなかないのでは。総合誌に6句載る、というようなことはあっても、あまりインパクトを感じてこなかった。それは俳句作品としての魅力の問題なのかもしれませんが、見せ方として、日記と写真とともに子育て俳句がつづられてゆくというのは、非常にビビッドだったと思います。
紗希 香奈ちゃんとはうってかわってといいますか…
る理 前衛的な作風ですよね。
華子 うん・・・・時々私にはわからないものもあって戸惑った。このつくるのエッセイに結構頼ってたとこがあるのかもって自分で実感した。
紗希 宇井さんは、文章はナシで、俳句を30句、寄せてくださいました。何を考えているか一見分からない風貌の男性ですが、案外ロマンチストで、人間のことも好きだと、句を見ていると分かります。あれ、人間じゃないみたいだね(笑)。
華子 彼は青森県出身なんだよね。今は海外に戻られたみたいだけど。その詠まれる「広さ」は出自につながるところがあるかもしれない。
る理 草田男とか好きなんですよね。人間探求派的な。
紗希 句にも、大地、海、百年など、大きな時間や地理が読まれるよね。大きなテーマ、壮大な主題に魅力を感じている人、という印象が。
る理 大きなテーマ、壮大な主題って、おんなじことだよね(笑)。
紗希 ほんとだ(笑)。
いづみに小鳥くればオカリナの記憶 (2011年10月7日)
紗希 オカリナの音程と、小鳥の声、泉の湧く音。記憶の中にこういう景色をもっていたいと思った。
華子 すごく美しいよね。透明感があるというか。
る理 韻律にもこだわりがあるのでしょうか。流れるような音ですね。
紗希 泉の記憶なんだろうね。小鳥が来たら、かつて水辺で吹かれたオカリナを思い出した、泉。水辺で笛を吹くっていうのは、神話的なモチーフだね。
る理 でも、オカリナの記憶でもあると嬉しいですよね。泉の近くで、小鳥が来るころに吹かれたなあ、っていう。
医学生らの春それぞれの卒業後 (2011年10月12日)
紗希 なんか、いきなり、ドキュメンタリーのタイトルみたいなのが出てきたね(笑)。
る理 いきなり、だよね。
華子 まぁ詰まった時に出てくるのは日常なんでしょうか。思うところがあったのかもね。
紗希 いい句ではない、よね。なんて言ったらいいのか。
る理 宇井さんが医学生だった頃を回想したシーンがはじまる?不思議な読後感でした。
華子 でも、これきっとどの学部生でもできるんだよ。医学生である必要性は感じない。もっと医学生にこだわってもよかったかもしれない。
無数の死を経て人類と春の鳥 (2011年10月29日)
紗希 これは10月2日の「無数の死を経て囀りのそらに在る」を改案した句、との解説があるね。
る理 どっちのほうがいい?
紗希 うーん…
華子 え、選べというなら私は「無数の死を経て人類と春の鳥」かな。死とそらの組み合わせは新鮮さがなくて、個人的には・・・。
紗希 私もどちらかといえば「人類と春の鳥」かなあ。「春の」というのがちょっと違和感があるところに、詩のとっかかりがあるかも。
る理 にごしてますねぇ(笑)。
紗希 ほんとやね(笑)。できれば「無数の死」を改案してもらいたかったけど、囀りだけよりは、人類も入ってきたほうが、ごった煮みたいで、混沌としていいかな。
る理 「人類と春の鳥」だと、単純に、歴史、って感じがして、分かりやすすぎるかも。「囀りのそらに在る」という、囀りそのものの場所をわざわざ明示した句は、ちょっと新鮮かな。
紗希 私は、囀りの句だと、空にあるのは魂だというふうにもとれると思った。「囀りの」の「の」が、主格「が」の意味なのか、修飾の「の」なのかで意味が変わってくるよね。前者だとる理ちゃんの読み、後者だと、無数の死を経て輪廻転生してきた魂が、囀りのそらに今在る、というような感じ。でも、そうすると「千の風になって」みたいになるよね。
華子 そうね。どっちも結局既視感がぬぐえない。
る理 あーそれは困った。
○まとめ○
る理 モチーフのかたよりを感じました。さざなみ、とか、鳥、とか、ばくてりあ、とか。まったく同じ句も、実はあります。ミスではなく、意図があるのかもしれませんが・・・。
華子 でも、一瞬迷うんだよね。似たのを見ただけかもと思って。指摘もせず進めてしまった。
る理 いえ、これは一応指摘はしましたが、特に訂正もなかったんですよ。
紗希 俳句らしい文体を身につけなくてはいけない、とは思わないけれど、語彙や文体の手数がもう少し見たいと思いました。
る理 きっと、恥ずかしいんでしょうね、俳句らしさ、とか。
華子 王道が正しいとは思わないし、押しつけるつもりはないけど、このままだとループしちゃうかもしれないね。モチーフとして詠んでいるものが、きっと今まである言葉で詠んでしまっているところもあるから、そこに工夫があったら面白いと思う。
紗希 彼独特の文体でいいので、なにか、内容のみじゃなくて、文体こみで表現できれば「百年」も、まざまざと百年経ったように感じられると思うんだけど…。「無数の死」と書けば「無数の死」が表現できるわけじゃない。でも、小さな日常、ささいなできごとが読まれることの多い現代の俳句において、これだけ大きなモチーフを表現しようとしているのは、やはり稀有。
る理 これからも、大いなるものと戦ってほしいです。
(次回は、越智友亮 「おちぽっど」、杉山久子 「日日是口実」をよみあいます。)