「つくる」をよみあう 第6回(福田若之 「リンクのほそ道から」、南十二国 「水の星」)

神野紗希×江渡華子×野口る理


福田若之 「リンクのほそ道から」

紗希  芭蕉の「奥のほそ道」にかけてますね。

る理  HP上のリンクをたどって、あるHPから次のHPへ、インターネット内を旅しながら、各HP上で俳句を詠むという企画でした。

華子  サーフィンはよく言われるけど、旅っちゃ旅だね。新鮮。

紗希  まさに現代らしい企画やね。身体を使うのが旅、という発想を転換して、動かなくても世界を旅することのできる、インターネットの旅。

る理  TOP画像のトランクと手紙の絵は、若之くんが描いたものです。かわいい。

華子  若ちゃん、美術部だもんね。

アイランドキッチンやどかりと学んで暮らす  (2012年3月15日

紗希  「アイランドキッチン」「やどかり」「学んで」で、なんとなく生活レベルが想像されるところが面白かったな。ちょっといいおうちの、いい暮らし。

華子  文字のせいか言葉のせいか、ちょっと日本ぽくないね。

る理  「アイランドキッチン」ってなかなか出てこないよね。でも、こうして使われると、使ってみたくなっちゃう単語だな。

紗希  アイランドキッチンの解放感、光がたくさん差してくる感じが、句全体から闇を完全に払しょくしてるところがあって、そのつるつる感が、現代だなあ、と。

る理  なんかこう、椅子に座って足をぶらぶらさせてる感じがする。「学んで」の言葉の意味の広さも感じました。

稼ぎが欲しいと思うセロリを齧りながら     (2012年3月21日

る理  悠長な感じが可笑しくて。「セロリ」って、そんなに安くないし、こうお腹を満たすものというよりも嗜好品という感じじゃないですか。お金ないのに、セロリなんか買っちゃう僕、感。

紗希  ほんとやね。ぜんぜん切迫感がない。というポーズ。

華子  どんな顔で齧ってると思う?笑

る理  かっこつけて齧ってそうですよね。顔はちょっと傾けて、へんに憂いをおびつつ、シャクシャクって。

紗希  「稼ぎ」っていう言葉のレトロ感も、セロリと齟齬があって、そのギャップがたのしいのかな。

華子  ちょっとフォークソングのポーズの取り方に似てるかもね。

記憶の中のぶらんこの強い色   (2012年3月22日

紗希  「記憶の中のぶらんこの」までは惹かれるところもあるんだけど「強い」じゃ足りない気がする。

る理  なるほど。記憶の中でぶらんこの色だけ鮮明、ってことだと思うんですけど、そんなにおもしろくない内容かなぁ。

華子  内容は私は好きだな。「の」が続いてもたついた感じをシャープにするなら、「強い」じゃなくてもいいとは思う。

紗希  この「強い」ではなく、というところで、どこまで迫れるか。口語俳句を攻めるなら、ここ、ぼやんとしてるところ、もっと進まなきゃいけない、押さなきゃいけないって気がする。

ガンダムとおとめ座の距離基地潤む     (2012年3月31日

る理  男性的なものとしての「ガンダム」と、女性的なものとしての「おとめ座」。構図が分かりやすすぎるやろーと思ったのですが、スピカへの挨拶句なんですよね。

紗希  そうだね。最後の「基地潤む」が、ガンダムのほうに近いんだよな。

る理  結局、「ガンダム」と「おとめ座」は近いのか、遠いのか。「基地潤む」という情報で、さらにうやむや感がある。

華子  私は「ガンダム」と宇宙というか星というか、そういったものをつなげるのはちょっと近かったかなぁと思った。

紗希  「ガンダムとおとめ座の距離」までは魅力を感じるんだけど、最後の五文字だよね。そこで、その二者の距離を、そしてそのふたつを挙げた意味を、なんとなく、感じさせることができたら。

○まとめ○

紗希  若之くんは、口語俳句をつくっています。文語だけでなく「や」「かな」「けり」などの切れ字も使わず俳句を作ってます。口語って、私たちのいま現在使っている言葉だから、口語で俳句を作ることは、なまの言葉、本音のような感じが出てくるっていうふうに考えがちだけど、むしろ、口語こそ、作りこまないと面白い俳句はできないと思う。型も切れ字もなく、歴史的蓄積の薄い言葉を使って、それでも面白い俳句たらんとするためには、なにか別の、それこそ“作りこみ”が必要になる。

る理  そうですね。最近の若手は口語俳句を作っている、と、一括りに(実際は、文語のひとの方が多いと思いますが)、少し批判的文脈で言われることもあるようですが、ガツンと良いの作ってみせないと、作り続けてみせないと、認められにくいところはあると思います。

華子  切れも使わないところに信念を感じるよね。私は文語だけど、切れ字って便利だもん。色々と新しい取り組みをしようとしてて、見てて本当に面白い。

紗希  文章を作りこむこともできる人やね。スピカで連載してくれていた「福田若之の天体観測」は、角川「俳句」の連載「新詠20句競詠」を読みながら、同時に彼自身の俳句観を誠実に記述する批評でしたが、こういうポップな文章を作り出すこともできる。ただ、作りこむことで、その範囲内での俳句、その範囲内での文章にとどまってしまう危険性もあるので、ちょっと注意も必要だけど。

る理  そしてもうすぐ、若之くんの新しい連載も始まることになりました。coming soon 、乞うご期待!

南十二国 「水の星」

紗希  つねづね、誠実な句を作る人だと思ってました。自分に対しても、世界に対しても、季語に対しても、誠実。文章もまた、誠実に日々のことをつづってくださいました。

華子  あまり人の集まる場所にはいらっしゃらない方なので、ちょっと謎めいた印象がありました。作品こんなに読めてうれしい。

る理  4月にぴったりの方だなぁと思います。まぶしいセンチメンタル。

暁は星の匂や初氷    (2012年4月1日)

氷のつめたさと、星のつめたさ、朝のつめたさ。星のにおい、朝のにおい、氷のにおい。三者が一緒になって、ひとつの世界を、シンプルにつくりだしている。

家々に水ゆきわたり春夕    (2012年4月24日

紗希  春の夕日の光が、すみずみにまで行き渡るように、水が行き渡っている。ごはん作る時間、おうちに帰ってくる時間やから、台所の蛇口とか、洗面所で手を洗う風景とか、思い浮かぶよね。

る理  ひとつの家に水がゆきわたるだけではなく、「家々」にゆきわたるというのが良かったです。町全体を指すことによって、ふるさと感、下町感というか、なんだか懐かしい感じがする。

華子  視界が広い。豊かで穏やかな感じもする。

紗希  「家々に水ゆきわたり」という言葉に「春夕」が与えられることで、言葉どうしも、ほっとしているような気がする。

華子  無性に帰りたくなる衝動を思い出すね。

紗希  やさしい、あたたかい風景。

道に出て風の甘しよ春の星   (2012年4月26日

紗希  風の匂いなのか、肌感覚なのか、なんとなくソフトで甘い感じがしたってところ。「春の星」とつけることで、春の星が出ているから甘いのかもしれないって思わせられるところもいいな。

華子  あ、なるほど。ふつうに口から吸ったら甘みを感じたのかと思った。

る理  「カッコ良く、元気いっぱいの切字が「や」なら、「よ」はちょっぴり淋しげで情けない印象を与える切字だ。積極的で強い「や」に比べると、どこか遠慮がちな雰囲気のただよう切字「よ」が、私はしかし好きである。」という文章が添えられていて、作風ってこうして作られるんだなあという気がしました。

紗希  あと、さりげないけど「道に出て」がいいよね。道がすっと伸びてて、風が先から吹いてきて、その先には春の星。春の星から自分まで、道がすっと通っていて、風が吹いて繋がってる感じがする。

華子  うん。あまり人のいない静かな通りのイメージ。

けむり噴くロードカツター寒旱     (2012年4月16日

る理  こういう力強い句も面白いですね。「寒旱」のさえざえとした感じとの合わせ方がうまい。

華子  音で聞いてもさっぱりしてて心地よい。

紗希  そうだね。「けむり噴く」が確か。

る理  添えられている文章には「純粋な自然そのものには常に心惹かれている。反対に(中略)機械的、人工的なものにはまったくと言ってよいほど心動かされることがなかった。だから今まではこんな場面を目にしても、俳句とは無縁の景として見過ごしていた」と書かれているんですが、いやいや、読者としては、もっと詠んで欲しいですね。

紗希  うん。すでに「ロボットも博士を愛し春の草」という名句もあるからね。きっと、十二国さんの愛によって、どんな無機物も、有機物になるはず。

窓に寄り太陽遠し冬木の芽     (2012年4月19日)

紗希  窓に近づいても、まだまだ太陽が遠い。きっと冬木の芽もおなじように「太陽遠し」と感じてるんだろうな。ただ、「窓に寄り」で、〈近づいたのに遠い〉という構図ができあがってしまうのは、できすぎかなと。窓のそばで太陽が遠いと思っている、だけでいいような。

○まとめ○

紗希  やはり、魅力的な句を作る人だなあと。抒情というか、童話というか。宮沢賢治みたいな。なんかねえ、ほっとして、ちょっと切なくて、ほろりとするのよねえ。

華子  うん。ちょっと郷愁がある。なつかしくて、さっきも言ったけど無性に帰りたくなる衝動を思い出すんだよね。

る理  昨年刊行された『俳コレ』にも参加なさっていて、そこではじめて100句まとめて読みましたが、とてもみずみずしく透明感のある句風ですよね。そして、今回の連載も同じ読後感でした。それは、良くも悪くも、ということになってくると思いますが。

紗希  そんなに材料とか、興味の幅の広い作家ではないと思うので、この透明感を失わないままで、自己模倣にならないように進むのは、なかなか険しい道だと思うけれど、私はいつも楽しみにしてます。

(次回は、よみあう特別編「『スピカ vol.1』制作記」です)