2011年6,7月・第二回  流れつく畳に咲かうとする菫  中原道夫(江渡華子推薦)

2011年6,7月   村上鞆彦×西村麒麟×生駒大祐×神野紗希×江渡華子×野口る理

流れつく畳に咲かうとする菫  中原道夫
(『俳句 5月号』角川学芸出版、2011)

江渡   前回、村上さんが、角川「俳句」2011年5月号の特集「震災の一句」から大木あまりさんの「春寒の星座のごとき絆かな」をひいてくださいましたが、私も同じ特集からです。 結構、ビビっときました。芽吹きのイメージという意味では、他の句との共通点もあるんですけど、何が違うのかなって考えたとき、流れ着いたあとを詠んだっ てところがいいのかなって。流れ着いて、そこで止まったんだよね。止まった瞬間のしずけさが伝わってくるようで。止まって、そこで咲こうとしている。明るいよね。プラスに向かっていこうとしている俳句は、私は好きだなと思って、いただくことが多いです。震災俳句じゃなかったら、この句が伝わるのかっていう ところはちょっと疑問なんですが・・・今回の特集の中で引くとしたら、これだと思いました。静かだけど、熱く強い、という力がはたらいているようで、好きでした。

神野   私も、震災特集の中では、これが一番心にきました。どうしても、おきまりの台詞やイメージが紛れ込んでしまう句が多かったんですけど、この句は違う。「咲かうとする」っていう菫の主体性を、押し出そうっていう作者の気持ちがみえて、そこにメッセージがあるのかなと思いました。復興へのメッセージですよね。

江渡   テーマに沿っているけれども、ひとつひとつの言葉の選び方が、本当に真剣に選ばれて、こう在るのだなって。

村上   ひとつのイメージとしては、エールの気持ちがこもってるなって思います。ただ、僕は、こういう句を読むときは、「菫」というものの在り様に即して、どうなのか、というところがあって。

神野   果たして、菫が畳に咲くのか、ってことですか?

村上   だいぶ長い時間がかかるよね。

野口   菫はもう、畳にいるってことですよね、「咲かうとする」だから。

神野   畳に菫の種がある。

野口   根が生える。

村上   そういうこと厳密に考えると、読めないんだけど、瓦礫の中の一枚の畳に、一輪の花が咲くっていうイメージとして読めば、受け取れます。

西村   僕は、希望を感じさせる句はわりと好きなので、この句も好きです。ただ、華子さんもさっき言ってたけど、この句には、震災っていう前書きがいるか もしれないね。句集の中にあっただけではわかんないかもしれない。畳って結構リアルじゃない。今回の地震のって背景があると、なまなましくてリアルだと思 うんだけど・・・。「菫」にも希望があるよね。ささやかで。あんまり豪華な花だと厭じゃない。向日葵とか咲いたら・・・

江渡   そうだね。

神野   アンバランス。

西村   凶悪な感じがするけど、「菫」だと、それでも明日に行かなくてはいけないっていう希望を感じさせるところ、好感がもてるなと思うね。

生駒   僕が震災のエールについて思ったのは、応援する主体をあらわにして出してくる人が多いなってことです。たとえば「~と願う」「~と祈る」っていう かたちで。そんな中で、この句は、完全にモノに即してるじゃないですか。もちろん、菫が咲くことに復興のイメージは重なるんだけど、あくまで菫の思いで あって、人が介在していない。その点で、俳句にとどまっている、バランスのいい句だと思います。特集の中でも好きな句でした。

神野   先日、俳句研究の2011年夏号で、中原道夫さんにロングインタビューさせてもらったんですが、その収録日、ちょうど「震災の一句」の締め切り前後だったんですよ。中原さん、「ずっと考えてたんだけど、ちょうど今日、朝、やっとなんとかつくって、送ったところだよ」って。どんな句だったんだろうなって思ってたんですけど、ああこの句だったのか・・・と。句を読んで、中原さんが一人考えている時間が思われて・・・。

江渡   震災の句って、政治色が結構出ちゃう中で、この菫の句は良かった。

神野   こういうときの句で難しいなと思うことたくさんあるんですけど、たとえば、文脈が違っても通じる句っていうのを出したとき、それってなんだか、折衷案に見えてしまうというか・・・もちろん素晴らしい句の、それ自体の価値は変わらないんですけど、特集の場所の文脈みたいなものってやっぱりあって。前 書きをつけなければ句の意味が通じないってことが、逆に切実さを補強するってところがあるのかなって思っていて。中原さんの句にも「流れつく」というところに、その切実さがあるのかなって。

野口   紗希さん、攻めてましたもんね。「暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト」。

神野   あれは、いろいろ考えるところがありました。出したときは、あれしか書けなかったんですよ。励ますなんて到底できないし、俳句をそんな風に使いたくなかったし、放射能も怖かった。でも、紙面になっているものを見ると、素直に、頑張って、って言ってもよかったのかなって気持ちもあります。みなさん、とても誠実な句とコメントを寄せていた。世の中そんな良い人ばかりなのかという畏れとともに、 “思っている”っていう思いの波が押し寄せてきて。

村上   呪文のように残ってる。紗希ちゃんのあの句が。作者の不安が伝わってくる句でした。

神野   場所の文脈を考えるべきだったのかと、いまだに悩むところではあります。

江渡   でも、よく考えて作った句だったんでしょ?

神野   うん、考えはしたけど・・・

野口   やっぱり浮いてましたよね(笑)

神野   こういうときに、あんまり目立つのは、という気がしました。目立ちたいわけではなかったので。今も自問しているところですね。できることはなくても、するべきことっていうのはあったのかなって。

西村   僕自身の美意識としては、こういうときにも淡々としていたいっていう思いがあるけど、実際に自分の身に起きたら、そうは言ってられないかもしれない。

神野   人に害になったとしても、自分が生きていく上で、言わざるを得ない言葉があるっていう自分のエゴを、今回ちょっと感じました。

江渡   でも、今回の一連の作品は、作品として、読みでがありました。私も、実家青森で、親戚で宮古に住んでる人とかもいるんだけど、他の知り合いにも普通に「流された」って 言ってる人いたし。ゴールデンウィークに実家に帰ったら、「なにも影響がない」って言ってたくせに、家のまわり、コンクリートの地面が罅だらけだしさ、食器棚も壊れてて、どこが 影響ないんじゃって思った。今回の特集は、見て励まされる人もいれば、励まされない人もいるし。私は、作品を作品として読みたいと思うので、励まされもするけど、一句として成り立っていて素敵だと思える句があれば、すごい嬉しい。で、私は、この菫の句が好きだった。

神野   私、別に、被災してないんだけど、この句には励まされた。

西村   そういうのはあるよね。

江渡   涙が出てくる。

神野   咲いてるんじゃなくて「咲かうとする」ってところがいい。咲いた景色じゃなくて、咲きたいっていう気持ちのほうをとってるところが。でも、この句を読んで、たしかに菫が咲いてるところを想像してしまうのが不思議です。まだ咲いてないはずなんだけど。

江渡   確かに。

野口   全体としては、桜を詠んだ句が多かったですよね。

江渡   多かったね。

神野   こういうテーマの拘束力が、やはりはたらくのでしょうか。

(次回は、生駒大祐の推薦句を読み合います)

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