る理 韓国楽しかったですねえ!
紗希 楽しかった!アカスリ、ディープスポットやったねぇ。ふつーの地元の銭湯みたいなとこで。ことばも通じないから、自分がモノになった感じがして、新鮮やったわあ・・・。
る理 さて、奇しくも、今回よみあうのはこの旅吟から。
る理 紗希氏の回です。
紗希 沖縄で毎年夏に開催されている俳句のイベント「俳句in沖縄」にお呼ばれしてきたんだよね。高校生のディベート大会があったり、小学生や中学生が参加する俳句勝ち抜きがあったり。
る理 3泊4日を30日分の記事にするとは!それだけ充実した沖縄だったことが伝わってきました。
紗希 そうなのよ。あとは、「つくる」欄をお願いする相手がいなかったってのは裏話(笑)。
とりあえずオリオンビール星近し (2012年9月11日)
る理 沖縄らしくていいですねえ。夜空を見ながら飲み明かすという気持ちの良さ。とてもくつろいだ気分が伝わってくるし、なによりビールが美味しそう!
紗希 沖縄の夜空が、すごく深い黒だったんだよね。それで、空を詠みたくて。「とりあえずオリオンビール」ってくると、口語で続けたいんだけど、最終的に「近し」ってやっちゃうバランス感覚を、もってるべきか、捨てるべきかって、悩むよね。
る理 生駒大祐くんが「よむ」で取り上げてくれてましたよね。→とりあえずオリオンビール星近し
紗希 そうそう。文語的出自、なのかも。
石に彫る名前 夏落葉は海へ (2012年9月18日)
る理 沖縄ではいろいろな体験をなさったんですね。扱いの難しい題材もあったでしょう。
紗希 そうだね。でも、触れないわけにはいかない。
る理 文章と合わせ読まずとも、石に彫られた名前はもう亡くなっている人の名前だということが多い。「夏落葉」ということによって、まぶしい日の光や海の青さの生命感を感じ、余計切ないな。ふつうの落葉だと、なんかもう想定内過ぎて飽きちゃうけど。残された人への優しさもある。
紗希 私は、どうも個別のことを個別のこととして詠むのが苦手みたいで、個別の出来事を詠んでも、なんとなく全体のことにしちゃうというか、この句も沖縄の碑を詠もうとしてるんだけど、結局「石に彫る名前」になっちゃう。無意識に、そうしたいんだろうけど。
る理 一方、個別な句といえばこんなのも。
今る理に酢橘が届くtwitter (2012年9月5日)
る理 私が、実家からスダチが届いたことをツイートしたのを俳句にしてくださったんですね。→Twitter
紗希 そう、そう。ツィッターのあの感じ。こういう軽い句は、「つくる」の連載じゃなかったら、出さなかったかも。「“今日”読んでもらう」っていう「つくる」欄の即時性が、ね。
る理 ツイッター用語で、「~~なう」ってありますよね、もう死語になりつつあるけど。この句も、「今」。しかも、自分は立ち会っていなくて、それでも同じ「今」。もう少し、分かりやすい言葉運びにも出来るような気もしますが、文章にも書いてあるように、新しい言葉たちが自然に俳句の言葉に加わってくる時代になる過渡期なのかもしれないですね。
紗希 新しさがかんたんに目に見えるという意味では、安易なラインではあるよね。でも、新しい言葉を、ナチュラルに一句に取り込めたらいいな、とは思ってる。どや、ではなくて。その用語じゃないところに重心をもってくると、どや感が減るのかな。
輪郭のゆるぶ角煮や葉月潮 (2012年9月23日)
る理 「葉月潮」がうまいなと思いました。大潮の激しさもありつつ、さわやかなんだけれどどこか切なくて。ややもすれば、それこそゆるんでいきそうな上五中七に、この取り合わせ。上品な仕上がりですね。
紗希 ほんとにおいしかったんだよね。てか、もともと、ラフテーは好き。でも、ラフテーじゃなくて、やっぱ角煮って言っちゃうところは、旅吟としてはどうなんだって気もする。
る理 でも海を感じつつ角煮食べることってあまりないから旅吟ぽいですよ。あ、ラフテーの句もありましたよね、ラフテーが地層のごとし南風(2012年9月16日)。こっちは簡単に作っちゃってる気がして、出来てる句だとは思うんだけどあまり愛せなかったかも。
天の川吹き散らさないように息 (2012年9月30日)
る理 ほら、天の川を見上げているときの呼吸ってなんだかひそやかですよね。いやいや大丈夫だよ、深呼吸したって吹き散らすことはないよ?とか言えないくらい、この本人は大真面目に天の川と向き合っている。
紗希 これはね、けっこう気に入ってたんだけど、わりと「甘い!」「だめ!」って言われることが多くって、あ、そうなんだ、という。これ、ほんとは、去年る理ちゃんと島根で一泊二日の高校生の俳句講座やったときに、夜、アスファルトの上で寝転がって星空見たじゃない?そのときできたんだよね。沖縄にもってきちゃったけど(笑)。もう、二人とも、寝落ちてたもんね、道の上で。
る理 あの日の句かあ、ほんと素晴らしい星空でしたよねえ!これはとても紗希さんらしい句だと思いました。ややもすれば甘いといわれるロマンチシズムがあって、それはとても分かりやすいんだけれど、そういうものほどうまく俳句に仕上げるのは難しい。紗希さんの好きな世界だっていうのも前提ですが、表現において実は苦しい道に挑戦しているんでしょう。
紗希 そうだね。もう、甘い、のが好きっていうことは自覚してきました。突き進もう、と思います。
る理 うってかわって、10月は石原ユキオさんのゾンビ小説の連載でした。
紗希 ちょっと本格的に、ゾンビだったよね(笑)。
る理 石原ユキオさんは憑依系俳人として活動なさっていて、今回は、四国のD温泉に彼氏と婚前旅行に来たOLさんに憑依。
紗希 語り手がゾンビになるという斬新な切り口。去年、ちょうどそういうアメリカの小説を買って読んだことあったけど、途中から「ゾンビにも人権を!」みたいな話になって嫌だったな…だから、ユキオさんのは、ちゃんとゾンビで、すがすがしかった。松山が舞台なのも、出身者の私としては、楽しいところ。
まはりまはりてゆくあてのなきをどりかな (2012年10月6日)
る理 ひらがな表記がやわらかいのに不気味。ゾンビが登場し始めた頃の句ですね。
紗希 「踊り」って季語は、なんだか本質的なことを言うのに適してるよね。「あそびをせんとや生まれけん」って感じがするからかな。大木あまりさんにも「かりそめの踊りいつしかひたむきに」ってあるよね。
る理 動いているのにとどまっている不思議。「まはりまはりて」が、いろいろあったけど、という意味に取れるところが面白い。結局、「ゆくあてのなきをどり」。「踊り」って人生と親和性の高い季語ですけど、この句もそう読んじゃいますねえ。人生とは、みたいな。
紗希 うん、うん。「まはりまはりてゆく」まで読んじゃって、そのあと「ゆくあてのなき」か、と思う、なんかシーソーで重心が移っていくような不安定な感覚も、好きだなあ。
長き夜の平面として在るシーツ (2012年10月8日)
る理 ホテルの部屋、のイメージですね。まっさらなシーツ。誰かがくるまったりすると、立体になっちゃうことまで思わせる。夜の暗さの中でシーツの白がいやに明るいのもなんとなくむなしくて。
紗希 長き夜だから、まだきっと寝てないんだよね。なにかしてる。短夜ならもうすでにくしゃくしゃだろうけど。
る理 初読ではどうかなと思いましたが、「在る」も効いてるかもって思います。シーツの在り方を書くことによって、他のものの存在を遠くしつつも想像させる。
紗希 「ある」じゃなくて「在る」ね。「ある」を漢字で書くと、哲学的なニュアンスが出るよね。
ふところに鬼の子を飼ふこころもち (2012年10月17日)
る理 心に鬼を飼う、という慣用句はありますが、そういう心持ちでいる、っていうのはちょっとずらしてますよね。心じゃなくて「ふところ」っていうのも、比喩じゃなくてほんとにひそませているように見せてる。
紗希 「鬼の子」って、みのむしの別名だよね。「みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ」(枕草子)。だから、こころもちは、きっと「いとあはれ」。
る理 「子」っていう言葉が、だんだん育つんだろうなあということまで思わせる。
紗希 そうだね。まだ飼えているけど、そのうち、暴走しはじめそうな感じが出てる。
紅葉且ツ散ル猫ノ毛ペツペツテスル (2012年10月24日)
る理 あぁ、もうずいぶんゾンビ化しちゃった句ですね。カタカナ混じり。猫食べはじめちゃった。
紗希 ペッペッってしちゃってるね(笑)。
る理 この句好きで、ずっと覚えてるんですよね。「ペツペツテスル」のとこがツボ。内容とかじゃなくて、音が好き、唱えたくなる系。
紗希 「紅葉且つ散る」って季語も、内容じゃなくて音系だよね。意味より、「モミジカツチル!」っていう音が楽しい。
邂逅ヤ共ニ啜レルアキレス腱 (2012年10月28日)
紗希 啜っちゃってる…。
る理 もうだいぶゾンビになっちゃったのに「邂逅ヤ」とか言っちゃうのがおかしかった。それでも俳句を作る!っていう。
紗希 手羽先な感じかな。それとも…って、なんかゾンビの気持ちを想像している私が!
る理 「アキレス腱」ってなんか美味しそうな響きなんだよなあ。しかもちょっと高級食材っぽい。体のパーツを持ってくる、ってなったときのチョイスとして、私好みです、はい。
紗希 黄泉平坂の風景として読んでもいいかなと思いました。死んで、やっと会えた。「邂逅」という言葉の運命的なひびきが、一句を美しく立たせてる。
۵ (2012年10月31日)
る理 あぁ、これはもう・・・完全なるゾンビ俳句なんでしょうな。
紗希 こんな記号、パソコンの中に存在してたんだね。
る理 憑依、ということに関してどう思います?
紗希 うーん、憑依っていうとなんだろうって思うけど、要するに、フィクション性だよね。そういう意味では、同じ旅吟というかたちをとりながら、私の沖縄の連載と正反対のゾンビ連載だったので、面白かった。私は小説って書けないので、憑依系を自分で名乗ることはできないな、って。だから読んでて楽しい。
る理 たしかに。私は、ふだん俳句を作るときに、この私が作っているという意識を持って作る訳でもないので、憑依とわざわざ言うこと自体、自分という存在を普段からしっかり意識しているんだろうと思いました。こういうことって俳句というか表現の手法として昔からあるものですが、それをあえて名乗ることによって、なんだか新しいところが開けているような気がしてきますね。
紗希 そうだね。むしろ、あえて憑依って表明することで、ライトなタッチの俳句を書こうとしてるのかなとも思いました。エンタメのジャンクさのたまらない魅力ってあるよね。それは、フィクションだよ、という前提があって、エンタメになる。ユキオさんの憑依は、そういう感じなのかな、という気がします。憑依という言葉の選択自体が、エンタメのかおりがする。フィクション、ばんざいです。
る理 さてさて、次回は、矢口晃さん・謎のユニットSST+Uの作品をよみあいます!
紗希 それではまた来週ー!