る理 2012年第一弾は、関悦史さんでした。
華子 タイトルが謎めいてたね。
紗希 1月1日の記事の中で、どんな連載になるのか、なんとなくまとめてくれてたよね。「(古本屋で昔の装丁の本を見ると、ついつい買ってきてしまい、手元にあるから読んでしまう…:紗希注)そういう読みっぱなしになっているものから句を作ってみようと思うが、書評とか内容紹介にはするつもりがないから、その意味では何の役にも立たない」。関さんのおうちにある本の中から、毎回一冊を書影とともに紹介して、一句つくっていただく、という企画でした。読書家の関さんらしい、ど真ん中の連載やったね。
る理 トップの画像の一つ目の黄色い物体は、オリビアというそうです。なんだかお正月のめでたい感じもしましたよね。
華子 名前があるんだ。これ。
紗希 オリビア、スピカにも出張してくんないかな(笑)。
箱に満ちて箱溶かしむる春の水 (2012年1月25日)
る理 「春の水」という季語の使われ方が斬新かつ効いていると思いました。いつの季節の水であっても、きっと同じなんですけれど、「春」という季節の柔らかさや茫洋とした感じが、しっくりきてて。
紗希 時間をたっぷりかけて、箱が溶けていく、その時間の経過がまったりと描かれてるね。
華子 少しぬるいというか、とろみがある感じがする。まとわりつく感じ。
紗希 溶かすまでの時間を描くことで、春の日差しの移り変わりみたいなものも感じたなあ。
る理 満ちるだけでは満足しなくってなんなら溶かすぞっていう気持ち悪さ。ああ、水が怖くなってきた。
作者・テクスト消えて蜂の巣また太り (2012年1月14日)
紗希 蜂の巣の原始的な感じがね。作者も、作者が残したテクストも消えて、蜂の巣だけが太っていく。その無思想で原初的な世界に惹かれました。
華子 気が付いたら蜂の巣が太ってて、それについて考えてたどり着いた答えみたい。蜂の巣が太るって言葉、結構こわいもんだね。
る理 「作者・テクスト」が消えたら、まったくなにも残らない、という訳ではない。その、なにが残るかというところを「蜂の巣」に託しているのが絶妙だなあと。
紗希 「また」だからね。いつかも太ってた。どんどん大きくなっていく。その、知性では止められない、欲望を感じる。
華子 気づかないところで起きている何か。それが「また」だと余計にこわいわ・・・。
放送禁止用語を鶯が叫ぶ (2012年1月24日)
る理 この連載には毎回、ちょっと怖い表紙絵が添えられているんですけど、これ、本当に怖い。
紗希 エロスとタナトスって感じやね。関さんの文章にも、る理ちゃんへの言及があるね(笑)。
る理 小さい頃から、推理小説が大好きで夢中になって読んでたんですけれど、和モノはどうしてもだめでした。表紙が怖くて、読む以前にまず本に触れなかった。特に、この、ヨコミゾ作品。
華子 私、横溝正史好きで結構持ってるけど、全体的にこんな表紙で怖いよね(笑)内容も内容だし。何だろうね。肌色じゃないからかね。
る理 句としては、「鶯が叫ぶ」はやりすぎのような気がしますね。叫びそうなものが、あまり叫べそうにないものを、叫ぶ、って、構図が分かりやすい。
紗希 うん、鴬は、和歌の時代からの伝統的な季題の、代表だからね。その、最高に上品な存在が、「放送禁止用語」という最低ランクに位置づけられるものを叫ぶ、という構図ね。
華子 うーん。叫びそうなものか。具体的に思い浮かばないけど、確かに鶯である必然性はあまりないかもな。
紗希 いや、鴬である必然性がありすぎるんだと思うな。でも、きっときれいな声で叫ぶんだろうね、「××××!」って(自粛しました)。
「う」「お」「ん」「ち」「ゆ」「う」の形(なり)に細ゴシック体の仔猫 (2012年1月29日)
紗希 鴬に続けて、仔猫。動物つづきです。猫が六匹はいる。
華子 「う」が二匹いるね・・・。
る理 猫のやわらかさを感じますね。「お」と「ゆ」は結構難しい?しっぽ使っちゃうのか。
紗希 「うぉんちゅう(=あなたが欲しい)」っていうのも、仔猫のかわいらしさとあいまって、絶妙にキュートね。「細ゴシック体」の指定も、多少、句をドライにひきしめてる。
華子 うん。明朝体だと逆に猫のやわらかさと近すぎるからいい距離感だね。
宇宙人を食うて緑となりにけり (2012年1月27日)
華子 シュールね。
紗希 この宇宙人、絶対、緑色の肌してるよね。
華子 フラミンゴが赤いのって食べ物によるものなんでしょう?そんな感じかな。人の色じゃないっていうイメージは緑って色がとても合う。でも緑の宇宙人ってナメック星人思い出すね。笑
紗希 懐かしい(笑)
る理 寺山修司の、電球食べちゃうやつ、を思い出しました。うわー、ものすごいうろ覚えだけど。
紗希 でも、宇宙生物じゃなくて「宇宙人」だから、かなり知能の高いものを食べてるっていう背徳感もあるねえ。
華子 食べることで吸収している感。
る理 ちょっと、宇宙人になっちゃってますよね。
○まとめ○
る理 昨年上梓された『六十億本の回転する曲がつた棒』が、第3回田中裕明賞を受賞し、ノリにノッている関さんです。
紗希 句集の収録句も、一般的な句集の二倍以上だし、「豈」で100句掲載するなど、多作な印象があったけれど、今回の原稿は、関さんの手にかかるとどのくらいの期間で仕上がるもんなんだろう。
華子 そもそも、どれだけの本を読んでるんだろうね。
る理 分かる人に分かれば良い、というのを徹底している印象です。ほんと、この連載の内容自体、マニア向け。ファンにとってはもうたまらないですよね。でも、ライトな読者も引き込んでいく強さがある。普遍ってこういうところにあるんだという気がします。
華子 それが関さんのポテンシャルの高さなんだろうね。
る理 関さんに続き、奇しくも長いタイトル系です。
紗希 ですな。
る理 毎日一曲「おやすみBGM」なるものを紹介しながら、その曲にまつわる俳句とエッセイを書く、という連載。「おちぽっど」ともまた違う、DJてふこワールドを楽しませていただきました。
華子 うん、選曲も面白かった。
紗希 「おやすみBGM」、できるだけ寝る前に聞きました~。文章も軽いタッチで、でも、てふこさんがどんな人か、本人がかくさず教えてくれるような、心をひらいてもらっているような嬉しさがありました。
水温む睡魔は肩のあたりより (2012年2月27日)
る理 変な実感がありますよね、ガクッて感じ。かつ、忍び寄ってくる感じもある距離感の「肩」。
華子 後ろから近寄られる感じでこわい。
紗希 肩って、ずっしりと重たくなってくるんよね。というか、目とか、アタマとか、眠くなると重たくなるものが、肩にのっかかる感じ。
る理 「水温む」は結構イメージが重なっちゃってツキすぎっぽいけれど、たぶん、さらに足したかったんでしょうね、眠さを。
紗希 そうやね。季語が「水温む」っていう、非常に明るい性質のものだから、睡魔も、気持ちがよくってとろーんとする睡魔なんだろうね。でも、肩だと、もうちょっと「困るわ」ってな睡魔でもいいような気はした。
卒業や消毒済みのマイク持ち (2012年2月21日)
紗希 卒業式のあとで、カラオケに行ってるんだね。で、歌ってる。カラオケのマイクって、「消毒済み」って書かれたナイロンが被せてあるよね。あれのことでしょう。
華子 他人とのつながりを一度リセットさせてることにふと気づいてしまった。
紗希 卒業したけれど、学校というのは無菌室のようなところで、純粋培養だったから、まだこれから社会の濁った世界が待ってるよ、っていう、その「卒業」と「消毒」。
る理 うーん、それはちょっと大人目線すぎるかも。これから始まるぜ、イエイ、汚してやるぜ、イエイ、みたいな闘志というか威勢の良さがあるんじゃないかな。たしかにこの勇ましさは、純粋培養だからこそ育つものなのかもしれないけれど。
華子 そ、そこまで明るい?(笑)
葬儀場前の三色菫かな (
る理 私、パンジーってなんかちょっと怖いイメージあるんですよね。
華子 なんだろう。模様が人の顔っぽいからかなあ。
紗希 私も、ちょっと苦手。
る理 内容としては、ただ葬儀場の前に三色菫が咲いている、っていうだけなんですけれど、勝手に想像が広げられるような、ピンポイントの情景。暗い「葬儀場」とあざやかな花、っていう色や心情の対比だけでなくしているのが、「三色菫」なんでしょうな。
華子 全体がモノクロの映像のなかで、そこだけが色づいているそんな印象をもちました。
紗希 「三色菫」って、すごく身近な花だよね。どこのプランターにもあって。だから、葬儀場と日常感というのかな…葬儀場にも日常があることをちょっと思わされました。
菓子屑にまみれてわれの春炬燵 (2012年2月20日)
華子 いやー、よくわかるね。炬燵って本当に魔の物だよね。ありきたりなのかもしれないけど、春炬燵がよりあるある感を増してるね。
る理 生活の中で、いろんな「屑」が発生すると思うんですけれど、特に「菓子屑」ということで、暮らしが見えてくる。
紗希 もう、ここにだらだら極まれり、って感じやね。
る理 いやはや。
ふらここの椅子の牛乳くさきかな (2012年2月15日)
紗希 今度は、牛乳こぼしとんかーい。
華子 木でできてたら嫌だね。本当にくさそう(笑)
紗希 なんとなく、春のふくよかな空気感、あまやかな風の香りが感じられる句。
る理 私は、充足ゆえの腐敗感があると思いました。満たされて熟していく世界は、つまり満たされ熟し切ってしまうと腐ってしまう。乳くさき、とか、ミルクくさき、じゃなくて「牛乳くさき」だからこそなのかも。
華子 うん、牛乳だからいいと思う。
○まとめ○
紗希 俳句は、結構アバンギャルドなことを書いているようなイメージでしたが、季語をまずたたしめるってことを優先してるんだなってこと、感じました。
る理 エッセイもとても楽しく読みました。同居人さんや家族の話とか思い出話とか、セキララなのに安心できる、というか。
紗希 浅尾いにおの漫画に出てくる世界のような。
華子 うん。生活してるんだっていう実感があったね。面白かった。忙しいでしょうに、本当にありがたかったです。
(次回は、福田若之「リンクのほそ道から」、南十二国「水の星」をよみあいます)